スポンサードリンク
スポンサードリンク
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
| 名前 |
蒲生貞秀公 墓所 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
標(しめ)の松塚(まつづか)蒲生貞秀(がもうさだひで)は蒲生家をおこした英主といわれ戦国の武将としてもその名が高い。貞秀は和歌にも優れ、新撰菟玖波集(しんせんつくばしゅう)に収録されているほどの文化人でもあった。貞秀は永正元年(1504)自分が亡くなってからからの墓所をきめ、一本松を植えて和歌を詠んだ。「引うへし 松の下はに 世をへれは 千とせの後のひともたつねむ」この松を標の松と呼び、文化八年(1811)碑が建てられた。この碑文は、信楽院(しんぎょういん)住職が作り、西大路藩士小串(おぐし)同行が敬書している。