悪七兵衛景清の歴史に触れて。
| 名前 |
景清の土牢 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
〒248-0011 神奈川県鎌倉市扇ガ谷4丁目6−3 景清の土牢 |
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平家の侍悪七兵衛景清が幽閉され断食の末亡くなったところと言う。戒名を刻した墓碣が残る。景清の娘人丸は尼となりここに草庵向陽庵を結んで亡霊を弔ったという。人丸が亡くなった後塚が築かれたがいつしかくずされ、数百年、人丸に私淑した禅尼妙立が復興を願っているのにたまたま遭遇した伊東藍田母子はこれを憐れんで父の応援もあり数年にして復興を果たした。大悲向陽庵(現廃寺)と称し海蔵寺に属して、人丸を開祖、妙立自ら二世となり、これが由縁で藍田の碑文が建てられた。書は松下烏石文の名筆河原保壽である。・向陽庵大悲堂碑記 明和2 東都藍田伊東龜年識 星岡河保壽書[臥12019]・水鑑景清大居士。