薩摩義士の足跡をたどる。
薩摩義士碑の特徴
鹿児島シティビューからアクセスしやすい立地で、散策に最適です。
平田靱負を筆頭に関係者の功績を称える歴史的な碑です。
桜島を望む絶景スポットとして観光にもおすすめです。
そんなに有名どころですか?安らかにご永眠下さいませ。
木曽川、長良川、揖斐川、三つの治水工事を成し遂げた薩摩義士の方々。将棋の駒を並べたような形をしています。
2018年12月訪問。岐阜県の子供は、薩摩藩が莫大な人的財的犠牲を払って難工事を成し遂げてくれた木曽三川の治水事業について学校で習い、鹿児島の人に対して感謝の念を抱きます。でもこの場所にこういう記念碑があるのを知らず、西郷洞窟に向かう道でたまたま遭遇して驚きました。改めてお礼の祈りを捧げてきました。木曽三川それぞれの河原の石が供えてありました。
分かりやすい場所にあり、桜島も望めます。
江戸時代、幕府に木曽川の治水工事を命ぜられた薩摩藩は、莫大な費用と人材を投じてこれに対応。多くの藩士が犠牲になったのだとか。ここにその供養塔があります。外様の雄藩である薩摩藩に対して、幕府はその力を削ごうとさまざまな苦役を押し付けていました。
사쓰마 의사비
木曽三川の治水工事で命を落とした普請奉行平田靱負他関係者の方々の碑です。市民ボランティアの方が解説のためにいらっしゃいましたが、時間がなくて聞けませんでした。お話を伺いたかったなあ。ここ自体は写真の碑があるだけです。
1753年、江戸幕府が濃尾地方(岐阜)にある木曽川、長良川、揖斐川の洪水に悩む3河川の難工事を薩摩藩に命じ家老平田靱負を筆頭とする1000名がこの難工事に着手した。それまでに病死や幕府に抗議するために切腹した者もおり88名の犠牲者を出した中、1年3ヶ月で完成させた。平田靱負は工事完遂を見届けた後に責任をとり切腹する。そういった偉業を称えた碑であり、その繋がりで今でも鹿児島と岐阜と交流があります。
名前 |
薩摩義士碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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鹿児島シティビューという観光循環バスで城山公園下車し、散策しました。ここもバス停となっているので鹿児島観光コースとしておすすめです。