西郷隆盛の終焉の地で歴史を感じる。
西郷隆盛終焉の地(南洲翁終焉之地)の特徴
西郷隆盛終焉の地は、歴史を感じる場所で、心に深く響きます。
西郷隆盛の最期の瞬間を偲ぶ石碑があり、思索を促すスポットです。
鶴ヶ城や西郷洞窟からのアクセスが良く、訪れる価値が高いエリアです。
2025年5月にたまたま見つけて伺いました。城山の洞窟が西郷さんの終焉の地とばかり思い込んでいたので、鹿児島に住んでいながら知らなかったのが恥ずかしい🫣隣に温泉♨️があるようです。
西郷隆盛最期の地。明治10年9月24日.西南戦争に敗れ、もうここらでよか、と覚悟を決め自刃し別府晋介が介錯をつとめた。武士の誇りを捨てず、仲間たちの命を守り、潔く去った巨星の終焉の場所だ。
あまり知られていませんが、こちらが西郷さんの最後の地になります。ここで切腹後、介錯されたわけです。近くには西能さんがいた洞窟があります。合わせて見られることをオススメします。
2022.9.24来訪。9月24日は西郷隆盛が西南戦争に敗れ、自刃した日である。144年前の今日である。命日なので何か特別な掲示や装飾などがあるかと思ったが特に何もなかったので拍子抜け。
激動の時代を生き抜いた西郷隆盛の終焉の地です。歩いて15分くらいの所にある南洲墓地には西郷隆盛のお墓がありますので、併せて訪れてください。
鹿児島の訪問に合わせ、西郷隆盛公の所縁の地を回りましたひっそりと慰霊碑があるだけの、ただそれだけの場所でしたが、日本のためにと維新を駆け抜けた公に合掌せずにはいられませんでした。洞窟や鶴丸城跡なども併せて回ることをお勧めします。
西郷隆盛像から徒歩約15分。彼は、激動の幕末、明治維新を駆け抜け、この地で散りました。今でも鹿児島県民、国民に愛され、歴史小説や大河ドラマの主人公となるのは、最期は本人の意に反し朝敵となれども、どこまでも真っ直ぐな情の人だったからではないでしょうか。この碑を前にして、そんなことを考えていました。
鶴ヶ城、黎明館から歩いてすぐですので是非そこから少し足を伸ばして訪れて感じて頂きたい場所です。
現在はJRの脇ですが、当時は鹿児島湾と桜島を見たのでしょうか。
名前 |
西郷隆盛終焉の地(南洲翁終焉之地) |
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ジャンル |
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電話番号 |
099-216-1366 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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ズドン、ズドン!2発の銃弾が西郷隆盛の大腿部を撃ち抜いた。城山洞窟を出てわずか300m、650歩でついに途は閉ざされたのである。「晋どん、もうここらでよか。」東を向き、皇居を伏し拝む西郷に、別府晋介の介錯の太刀が振り下ろされる。1877年(明治10)9月24日のことであった。西郷を敬愛する私学校生徒を中心に強大な反政府勢力となった薩摩軍が2月15日に50年ぶりの豪雪をついて熊本に軍を進めて以来、7ヶ月も続いた「西南の役」が終わった。西郷隆盛、享年49歳。