南林寺跡地で名士の歴史を探る。
南林寺由緒墓の特徴
南林寺にあった墓石が移設され、歴史を感じることができます。
かつて135,000基の大型墓地が存在した地域の跡地です。
南林寺墓地には名士の墓もあり、見応えがあります。
かつて南林寺にあった墓石が移されています。中には、示現流開祖東郷重位の五大弟子の一人、薬丸如水や、関ヶ原の戦で井伊直政を狙撃した柏木源藤、水野流居合を極めた平田大監物等の墓石があります。けっこうすごいのに、墓石の配置図や誰の墓石があるか等の説明板がないのが惜しいです。駐車場はありませんので、近所のコインパーキングに停めるしかありません。
南林寺にあったお墓がそのまま残されているというので見学してきました。墓石を読むととても古いお墓がとても大切にされていました。敷地はきれいに掃除されていてゴミ1つも落ちていませんでした。
京都伏見でおこった寺田屋騒動は、精忠組の同士討ち。薬丸自顕流の同士討ちでもあり、師範家の薬丸兼義が寺田屋に掛け付けましたが、斬り合いは終わり悲惨な結果に。薬丸師範は責任を感じた旨が記録に残されています。
南林寺墓地にあった名士の墓がある。幕末の藩士や剣術家の墓が多い。
廃仏毀釈で廃寺となった南林寺、広大な南林寺墓地の跡地です。
今では想像できませんが1919年まで天文館の裏側にあたるこの地域に135,000基の大型墓地があったとのことでした。その時期に草牟田、郡元などに移転されましたが、遺族が見つからないお墓も多くあり南州寺に改装されました。その中には勤王の志士や学者、武芸の達人の墓も大切に保管されているようです。
名前 |
南林寺由緒墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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2024年12月に伺いました。