歴史を感じる神社、島津忠良を祀る。
竹田神社の特徴
歴史ある佇まいが魅力的な神社です。
丁寧な対応の御朱印に心が温まります。
大楠や墓石など見所が満載です。
戦国時代に活躍した「島津忠良(日新公)」を祭る神社で、境内には47首のいろは歌の歌碑や日新公の墓などがあり、厳かな雰囲気を醸し出しています。また道路沿いには樹齢400年の数本のクスノキがオーラを放ってます。
島津氏中興の英主、島津(忠良)日新公を祀っている神社。御祭神は、日新偉霊彦命(ヒワカクシタマヒコノミコト)。竹田神社の起源は室町時代の保泉寺にはじまり、日新公の菩提寺となってからは日新寺となる。薩摩藩十大寺の一つとされ、江戸時代には島津歴代藩主が任期中、必ずこの寺を参拝していたそうです。明治2年に廃仏毀釈により廃寺となりましたが、明治2年12月廃寺の際土地建物等そのまますえ置いて竹田神社と改号。続いて明治6年島津家及び日新寺信徒が協力一致して社殿を造営されたようです。境内周辺には、日新公が人生について詠まれた訓話の「いろは歌」47首(「いにしへの道を聞きても唱へてもわが行ひにせずばかひなし」)が彫り込まれた石碑が建ち並び、200メートルに及ぶいぬまき大木の並木道「いにしへの道」があります。このほか、日新公の墓や多くの史跡が点在。迫力のある大杉もあり、静かなパワーを感じられます。毎年7月23日には竹田神社夏祭りが開催される。
📆令和5年10月9日社務所に連絡先が記載。電話したら、隣りの敷地内にお宅から宮司さんが走って来られ、御朱印をいただきました。戦国時代に活躍した島津忠良(日新公)ゆかりの神社です。竹田神社の起源は室町時代。保泉寺→日新公の菩提寺となってからは日新寺となりました。薩摩藩十大寺の一つとされ、江戸時代には島津歴代藩主が任期中、必ずこの寺を参拝したいい伝えがあります。明治2年廃仏毀釈により廃寺となり、明治6年その跡地に竹田神社が建立されました。境内には、いにしへの道があり、薩摩藩の郷中教育の道徳の基礎となった「日新公いろは歌」の四十七石碑が並びます。奥には、日新公とその三男の島津尚久公の墓がありますが、日新公の墓は、墓地の奥にあるようで、雨だったため行きつかず😅🍀毎年7月23 竹田神社夏祭り水車からくり、稚児おどり、二才おどりの郷土芸能があり、これらは鹿児島県指定民俗文化財。
道沿いにある神社です。駐車場も十分です。道を挟んで鳥居があります。境内はとても綺麗で広々としています。神社の方に声掛けして御朱印を頂きました。その際に深々とお辞儀されこちらも恐縮してしまいました、
🍀戦国時代に活躍した武将、島津忠良を祭る神社、御朱印あります。
1/3の15時頃、人出を避けて、友人と伺いましたが人出は思ったよりあり……👀💦歴史ある佇まいの中で、静かにお詣りできました😊コロナが早く完全終息して欲しいです。また、「ゆっくり」とお詣りしたり、御朱印も頂きたいです。
御朱印は、500円ですが、丁寧に対応してくれました。隣接した場所にお墓があり、重要な場所だと思います。
下調べ無しでブラリと寄りましたが歴史を感じる石碑や大楠、墓石など見所満載で思いのほか時間を費やして見入ってしまいました。御朱印も頂けるようですがたまたまなのか社務所は不在のようでした。隣の護国神社や公園の遊歩道、裏手の墓地などと繋がっているのでお散歩にも良さそうです。石碑や大楠、墓地などに解説が丁寧に設置してあり当時の人々の思いや歴史を感じることができます。大きな楠の枝ぶりも良くて見応えがあります。並木道には日新公の歌が彫られた石碑を解説付きで読むことができます。歴史を超えて心に響く事が多く書かれており、現代にも通じる教訓を学ぶことができます。
見所が沢山ある神社です。御朱印を戴いた際に、島津日新公いろは歌集も戴きました。人生の道標として大切な事が歌として詠まれています。日新公の教えを胸に生きて行きたいと強く感じました。このご縁に感謝します。ありがとうございます。常潤院跡に日新公の墓があります。
| 名前 |
竹田神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0993-52-2841 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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歴史ある神社です。県下三大夏祭りで有名な人気の神社です。毎年7月23日には大勢の参拝客で賑わいます。境内の桜も満開で、春の訪れを感じながら参拝しました。