博多聖福寺の茶、栄西禅師の味。
茶徳碑の特徴
博多聖福寺の栄西禅師が持ち帰ったお茶の起源です。
脊振山系で栽培されたお茶の歴史を感じられます。
中国(宋)からの茶種が広まった重要な史跡です。
博多聖福寺の栄西禅師が建久二年(西暦1191年)に中国(宋)から持ち帰ったのが日本のお茶の起源といわれており、最初は脊振山系で栽培され次第に全国へ広まっていったと伝えられています。この茶徳碑は昭和50年4月に,福岡の茶人である内本浩亮氏が,日本のお茶発祥の地の記念として,建立したものだそうです。
| 名前 |
茶徳碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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我が国に日常のお茶用の茶種を広めたのは、博多聖福寺の開山として知られている栄西禅師です。禅師は建久6年(1195)中国から持ち帰った茶種を脊振山に蒔いたといわれています。禅師は鎌倉三代将軍源実朝に、『喫茶養生記』を献上して、諸病の療法としての喫茶の功徳を説きました。また京都栂尾の明恵上人に茶種を贈り、これが上人によって栂尾からさらに宇治に移されて、宇治茶の基を開いたということです。栄西禅師が開創した唐泊の東林寺には、座禅石や栄西禅師の石像もあります。