摩文仁の丘で英霊に感謝。
黎明之塔の特徴
摩文仁の丘に位置し、沖縄戦の重要な歴史的地です。
牛島大将と長勇参謀長が自決した場所として知られています。
穏やかな海を眺めつつ、戦災犠牲者への追悼ができます。
摩文仁の丘頂上にある塔です。ここからは広い海が見渡せます。ここへ辿り着くまでに多くのお墓の前を通りました。「戦争」というものを感じ取ることができます。
手を合わせて感謝と追悼をさせて頂きました。
ただ、ただ、祖国日本を、沖縄を守るために散華された英霊の方々に感謝です。その一念でお参りさせていただきました。安らかにお眠りください。
沖縄戦で首里が5月下旬に陥落し日本軍は摩文仁へ撤退。この地で6月下旬には牛島司令官を筆頭に高級将校らが自決し日本軍の組織的抵抗が終結した地。また、健児の碑も崖下にあり、沖縄師範学校の男子生徒も沢山亡くなっている地である。眺望が素晴らしく英霊に手を合わせたい。尚、黎明の塔にはウッドデッキで近道が出来てるので駐車場から徒歩で直接この地へ来れる。
32軍最後の地。資料館から最も離れた場所にあるが是非時間があるなら足を運んでみて欲しい。駐車場は公園の真ん中辺りに停めておくとここからの帰りが楽になる。
合掌牛島大将と長勇参謀長が自決した場所です。32軍は民間人も結果として戦闘に巻き込んだとして評判は良くありませんが、いたずらに玉砕せず追い詰められて組織的抵抗が不可能になり大本営が沖縄放棄を決定してからも司令官と参謀長のみが自決しその他の司令部要員には自決を許さず残置諜者としてゲリラ戦を展開したとされています。彼らが沖縄を守るために戦ったという名誉は語り継ぐべきでしょう。
穏やかな海を眺めながら、全ての戦災犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げました。
牛島満大将と長勇(ちょういさむ)中将が自決した場所です。この塔は、彼らが切腹している姿をモチーフにして作ったのか、作ったら結果的にそうなったのかは分からないが、そういうかたちをしています。
牛島中将が自決した場所ですね?死ぬ前に皆に酒とパイナップルの缶詰を配ったとか1945年6月23日午前4時半、洞窟から外に出て空と海を眺めて、天皇陛下万歳と叫び、のち自決しました。沖縄県民は、よく薩摩の侵攻と話しますが、薩摩も豊臣秀吉によって九州平定されています。安土桃山時代は、日本の統一の時代です。1590年の豊臣秀吉の天下統一は蝦夷も琉球もまだ含まれておりません。北海道を日本じゃないと話す日本人は現在いません。沖縄も同じです。
名前 |
黎明之塔 |
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ジャンル |
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電話番号 |
098-997-2765 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.4 |
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雑草など綺麗に刈り取られていました。とても歩きやすくここまで来れました。手入れされている方に感謝致します。