ひっそりと佇む歴史の石碑。
板西城跡の特徴
板西城跡は平安時代末期に築城された史跡です。
遺構はないが、説明板と石碑が設置されています。
住宅街の中にひっそりと佇む静かなスポットです。
城跡の面影は全くありません。この城も長曽我部にやられています😲
遺構は皆無だが説明板と城跡碑か設置されているのは嬉しいじゃないか、それだけで良いじゃないか、と私は思う。
石碑、説明板がありますが、目に見える遺構はありません。古城などの地名として残ります。
以前に、もっと広々としていると、勝手に思い込んで、車で探したが見つけることが出来なかった❗実際はひっそりと、、、、
ここも住宅街の中に石碑と案内板があるだけです。昔、お城があったなんてなかなか想像できませんね。
名前 |
板西城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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板野町指定史跡板西城址ばんざいじょうし平安時代末期(八百余年前)藤原節光ふじわらのもろみつの六男、近藤六親安こんどうろくちかいえが築城したという。親安は屋島の合戦(ー一ハ五年)に向かう源義経みなもとのよしつねの道案内をして、平家滅亡の一助となった人でもある。その後、赤沢氏が居城とし、阿波国守護職の居館が秋月(阿波市土成)から勝瑞(監住町)に移るとともに、勝瑞城の西の守りとして、重要な位置を占めるが(一五八二)中富川の合戦で、土佐の長曾我部元親ちょうそかべもとちかの兵火にかかり、勝端城とともに落城した。蜂須賀氏の入国後も、再建されることもなく、その正確な位置、規模とも不詳である。今に古城、城ノ内、城ノ西という地名として、その名残りをとどめている。落城の際、討死した赤沢信濃守あかざわしなのかみとその特兵は、那東(板野町)の愛染院に祀られている。昭和三十年(一九五五)三月三十一日指定平成一九年(二〇〇七)七月一日建之板野町教育委員会以上由緒書きからお堂を管理してくださってる方々に感謝いたします。皆さんの町にも小さい史跡があると思います。散策するのも楽しいですよ。皆さんで大事にしていきましょう。