壮大な土塁と絶景の山。
鳶之巣城跡の特徴
標高248mの地蔵堂からの絶景が楽しめる史跡です。
多彩な遺構が見られる切岸や堀切が魅力的です。
歴史的な背景を持つ源頼政に関連した重要な場所です。
🔷歴史龍神氏の祖である源頼政は、治承4年(1185年)5月に平家と宇治川で戦い奈良へ逃れる途中に敗死、その5男頼氏が現在の田辺市龍神村殿垣内に隠れ住んだ。 頼氏から七代後の龍神山城守頼綱は、応永6年(1399年)大内義弘の乱鎮圧のため幕府軍に加わり、功を認められ南部川上流の地を賜り鳶之巣城を築いた。 しかし5代後の当主龍神秀政が湯河氏の謀略により大和高取城で戦死し、その後鳶之巣城も落ちたため龍神氏は没落、秀政の子である家綱は島之瀬に逃れ帰農したという。 麓の土井地区には「ヤシキ」などの地名が残され、平時の居館があったと思われ鳶之巣城を詰城とした根小屋形式の城郭であったと思われる。 なお滝地区にある十輪寺には龍神氏一族の墓所や永正10年(1518年)に建てられた宝篋印塔が残されている。🔷現状南部川上流にある土井地区に城跡はある。 城跡までは麓の墓地駐車場に車を止めて、そこから杉林に向けて山道が整備されているため歩きやすい。 遺構は標高258mの山頂にある主曲輪を中心に3方の尾根に向けて曲輪が配置されている。 主曲輪は南北45m、東西18mの規模で、西側には僅かであるが土塁が残されている。 南側には堀切を挟んで自然地形に近い曲輪と、その下方に取り巻くような横堀と斜面に畝状竪堀群が掘られている。 西側は三つの曲輪が配置され、北側下方に延長50mほどの横堀と、西側尾根に向けて2条の堀切があり、二本目は深さ3m、幅7mある大堀切である。 東側の曲輪は造成が甘く形が明確でないが、二段ある下方の腰曲輪は馬場のように細長い。 鳶之巣城は永世10年(1514年)に落城したとの記録もあるが、畝状竪堀群や横堀を用いた技法は戦国時代末期のものであり、龍神氏に代わる領主が大幅な改修を加えたのであろう。 鳶之巣城は戦国山城の形状を非常に良く残しており、一度訪れる価値がある城跡である。
景色が綺麗すぎる。
名前 |
鳶之巣城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://kisyujt.com//html/castle/wakayama/minabe/tobinosu2.html |
評価 |
5.0 |
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標高248m、比高約166m北側の地蔵堂から登った国土地理院の地図通りの谷筋だと絶壁で登れなくなる➰(ヾノ・∀・`)尾根を登るのが正解○堀切♪、連続竪堀♪切岸♪横堀♬土塁♪などなど遺構たっっっぷり👌西端の大堀切はザックリ♬削り残した大土塁♪は迫力あるある南側の大堀切♬はシダに埋もれながらもカメラに収まらない大きささらに南先端の横堀♬からの竪堀群♬はヤブに埋もれて見るのは大変この山の上に凄い土木量で感動デス👍️