三木合戦の歴史を感じる。
大村山ノ上付城跡の特徴
三木合戦で由緒ある秀吉方の付城が魅力的です。
戦国時代の歴史を感じる三木合戦の舞台となっています。
別所氏の籠城を囲む戦略的な30余りの付城のひとつです。
戦国時代の付城?陣地?三木の籠城戦の折の織田方。
三木合戦の際、羽柴秀吉は平井山に本陣を置いたが、別所氏が籠城する三木城に物資が入らないように、廻りに30余りの付城を築き包囲網を敷いた。その付城の一つがこの大村山ノ上付城です。付城跡の愛宕山山頂からは、三木城や三木市内が一望できます。この付城の東隣の平田山には、豪将谷大膳亮衛好が陣を敷いていたが、ここが毛利別所連合軍に狙われることになる。明石から陸路で三木の大村まで、三木城への兵糧を運んできた毛利軍と雑賀衆は、谷大膳の守護する平田山砦に夜襲をかけて、秀吉軍の付城の包囲網を破って三木城に兵糧を運び込もうとした。これが、天正7年9月9日夜の平田大村合戦で、平田山砦の谷大膳は討ち死にする。異変に気付いた秀吉は、平井山の本隊をこの地に向かわせ、付近の付城からも参戦したので、形勢は逆転し、逆に毛利別所連合軍は敗走した。別所軍は大将格数十名失い、兵も約八百失った。三木合戦において、最も激しい戦いであったこの平田大村合戦の地には、今も多くの塚、祠が点在している。
名前 |
大村山ノ上付城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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三木合戦の時の秀吉方の付城。標識や表示等は一切なし。Google Mapでしか確認出来ん。素人目には何かそれっぽい土塁跡みたいなのものを一応写真に撮ってみたが。