三依姫の供養塔、歴史が息づく。
横川宝篋印塔の特徴
栃木県の日光市にある貴重な室町時代の宝篋印塔です。
安土桃山時代の特徴を持つ、歴史的価値の高い文化財です。
三依姫の供養塔として、その由来も深い意味を持っています。
地名の由来となった三依姫の供養塔とされる。
この塔は、室町時代に建立されたと思われる「三依姫」の供養塔とされる。三依姫は塩谷郡川崎庄城主の塩谷左衛門尉の娘で、田島城主長沼氏に嫁入りする際に三依郷6ヶ村を化粧他地として持参し嫁いだ。しかしその後、塩谷氏は兄弟争いから滅亡し、婚家の田島家は将軍足利義満に反抗し、田島の所領をすべて没収されて滅亡した。姫は少数の友をつれて三依の地を隠棲の地として訪ね、横川で寂しく晩年を過ごしこの地で生涯を閉じました。村人たちはこの悲運な姫への同情と特を偲んでこの塔をたてたという言い伝えがある。
名前 |
横川宝篋印塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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栃木県内でもとても珍しい、室町時代の作風を残した安土桃山時代の古い宝篋印塔【市指定有形文化財(考古資料)】2基とも、台座から宝珠に至る各部に室町時代の特徴を強く残すが、一部には安土桃山時代の作とみられる傾向もある。このような古い時代のものは県内でも珍しい。横川の人々には「三依姫の供養塔」とされている。現地の説明板よりこの宝篋印塔は、その形態より見て、安土桃山時代の作と推定され、本県内にても数少いものである。土地の伝説によれば三依という地名の起源となった三依姫の供養塔にて、近傍の墓地には、その墓とされる五輪塔も現存する。三依姫の由来は一切不明であるが、これ丈の供養塔が建立されていることは由緒ある武士の一族であることが考えられる。