薩摩城跡で感じる島津藩の歴史。
鹿児島(鶴丸)城跡の特徴
薩摩藩の思想が表れた質素ながら迫力ある御楼門が魅力的です。
明治維新に大きく貢献した島津家久の居城を感じられる歴史スポットです。
西南戦争の弾痕跡や令和3年完成の復興建物が見どころの城跡です。
ついに薩摩城(鶴丸城)に来た〜。海から近い立地が故に、薩英戦争で砲弾が届いたそうだが、質素な建物だったので近くの寺に砲弾が行ったとか。薩摩の歴史の中心地に来れてよかった。
島津藩の素晴らしさを感じられる場所です。強さとデザインに両立がなされているバランスの良さ!言葉を失います。
明治維新に大きく貢献した薩摩の城跡!鹿児島(鶴丸)城は、天守閣の無い珍しい城でした。訪れたこの日は晴天、再建された楼門をくぐり石垣に囲まれた通路を進むと、広大な敷地と広がる青空に魅了されます!今は、城跡の痕跡は少ないのですが城跡の雰囲気を十分に感じ取ることが出来ます!ここまで来たら、黎明館(有料)に行ってみましょう!薩摩の歴史などをとても分かりやすく展示しています!
2023 9/24鶴丸城(鹿児島城)。お城の跡でした。駐車場🅿️は、黎明館の駐車場です。この日は、駐車場が混雑しており並んでいましたので私達は、手前のコインパーキングに止めて歩きました。お城は無く石垣が残っているだけでした。お城の外側には用水路があり、鯉が泳いでいて和みました。リニューアルされた立派な門をくぐり、石垣を見ながら道なりに行くと、黎明館にたどり着きます。
6月初旬に訪れました。雨の中の再建された門、堀のハス、石垣などを見て歩きました。まだ先始めでしたが、つぼみから花のサイズも大きく、咲いたら見事だと想像できます。堀がコケに覆われているさまも見事でした。門の先には博物館の黎明館もあります。鹿児島に行き、時間があるなら散歩してみてはいかがでしょうか。近くには西南戦争の弾痕もあり、歴史を感じることもできる場所でした。
復興建物ではありますが御楼門大きさは凄い迫力でした。また石垣の弾痕は日本の歴史そのもの…天守閣は無くとも見応え十分です。
身障者専用駐車スペースは7台分。バイク、自転車専用駐車場は自動車の広さで12台分在ります。身障者専用トイレは在りません。普通の洋式です。常設展示のみでした。近代日本の外交がテーマでした。黎明館所蔵以外の個人、団体の出展物が半数近くありそれらは撮影禁止でした。周囲の桜や新創された御楼門も見ものです。
⑥西南戦争の弾痕跡を見て⑦鶴丸城跡にやっと辿り着きました。予定より15分程度遅れています。御楼門は2年弱掛けて2020年3月に復元完成した二重二層の櫓門です。櫓の奥行きも7mありドシンとした重厚感がありました。堀や石垣、石橋も趣がありました。本丸跡には鹿児島県歴史資料センター黎明館がありましたが、時間の関係で入場は割愛しました。天璋院の像も拝見しましたが、これにはピンときませんでした。また、ここは第七高等学校造士館の跡地でもあり七校関連の史跡もありました。尚、鶴丸城(鹿児島城)は、第18代島津家当主忠恒(家久)が、父義弘の反対を押し切って1601(慶長6)年から築城に着手し長年かけて完成したようです。忠恒は第17代島津家当主義弘の三男ですが、一男鶴寿丸は8歳の若さで加久藤城にて病死し、二男久保は第16代当主義久(義弘の兄)の娘亀寿と婚姻し後継となる予定でしたが、不運にも文禄の役で朝鮮に渡り現地で病没してしまいました。そのため三男忠恒がその後亀寿の再婚相手となり第18代島津家当主となったようです。また、忠恒は1606(慶長11)年家康から偏諱を受け“家久”に改名しています。忠恒の父義弘の末弟で、日向の高城川合戦や肥前の沖田畷の戦いなどで活躍した家久と同名であるので、本当にややこしいです。
100名城の一つ鶴丸城へ。2020年に、日本最大の城門「御楼門」が復元されています。日本最大の城門だけあって、立派な門で圧倒されました。また鶴丸城跡には、歴史・美術センター黎明館があり色々なイベントも開催されています。
名前 |
鹿児島(鶴丸)城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
099-222-5100 |
住所 |
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HP |
https://www.pref.kagoshima.jp/ab24/cms/documents/kagosimajou/kagosimajou.html |
評価 |
4.2 |
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島津家久の居城でした。天守がない平屋が2棟あったようです。本丸跡は黎明館になっています。火災で消失した御楼門の再建が行われ、総工費11億のうち6億を寄付金で賄いました。確かに城跡に石垣だけは寂しいものがありましたから、再建出来て本当によかったと思います。堀の睡蓮が咲く時期にもう一度来たいと思います。天守が無いのは豊臣秀吉に気を使っての事だったとか。質実剛健を掲げる薩摩藩でしたから、さもありなんですね。石垣には西南戦争の折の銃弾跡が沢山残っています。