芙蓉部隊ゆかりの岩川基地跡へ。
芙蓉之塔の特徴
芙蓉部隊が使用した岩川基地跡に建立された慰霊碑です。
隣には資料館や文化財センターがあり、戦中の歴史を学べます。
元滑走路の上に位置する芙蓉の塔で、歴史探訪に最適です。
職場のボスから、昨年芙蓉の塔のことを聞きました。ボスは福島の人ですが、特攻隊の話の中で「芙蓉の塔を知らないのか?命を無駄にせず、夜に出撃する部隊があったんだぞ」と。まさか小さい頃から祖父母の家に行く途中、そんな歴史のある場所があるなんて知りませんでした。今日行けてよかった。今度は資料館も行ってみます。
岩川基地跡にある慰霊碑と小さな資料館があります。隣の文化財センター内に資料館があり、事前連絡無しの訪問でしたが見学できました。
隣に文化財センターがあるのでぜひセットで見るとこの地域の戦中について知ることができると思います。
芙蓉部隊の彗星など飛び立った、元滑走路上に建立されています。隣の曽於市埋蔵文化財センター内に、芙蓉部隊資料展示されていますが、夕方着いたため見学できませんでした。連絡して行くことをおすすめします。
岩川飛行場跡に建つ婢。現地に立ってみるとかつて飛行場だったという面影はありませんが、ちょっと高い位置から見るとお茶畑など広大な土地が確認できます。特攻作戦だけでなく、夜間攻撃部隊が編成された事など、現地に訪れたからこそ学ぶ事ができました。予約することで案内もして頂けるそうです。
私は125CCのスクーターで一週間かけて九州を一周しています。毎日移動する区間を決めてその中で行く場所を決めています。今日は宮崎県宮崎市から出発して鹿児島県鹿屋市まで区間のなかで最も外せなかったのが芙蓉の塔でした。ここはかつて太平洋戦争の時代、九州が空襲の危険にさらされていた時期に開設され徹底したカムフラージュで被害を受けないで終戦を迎えた基地だったのです。この岩川基地と呼ばれていた時代は滑走路に民家や牛を放牧して農家であるようにしたそうです。ときどき民家の位置を替えたりして。ここには芙蓉部隊が彗星という航空機で静岡県藤枝市から移ってきたようです。
美濃部正少佐が指揮した芙蓉部隊が使っていた岩川基地跡です。戦後に美濃部少佐が戦死した隊員を慰霊する為に建てた慰霊塔だそうです。周辺に基地があった痕跡は何も見つかりませんでした唯一慰霊塔だけが基地があった事を示す物になっています。ちょっと離れたところに通信司令部跡があるそうです。
曽於市の生涯学習の1つ、そお歴史探訪で訪れました。曽於市に残る太平洋戦争関連史跡です。鹿児島には知覧や鹿屋の飛行場が知られていますが、ここにも かつて岩川飛行場の発着所がありました。昭和19年に造られ、昭和20年5月から美濃部正少佐率いる芙蓉部隊(夜間銃爆撃の部隊)により使用され始め、沖縄方面に出撃しました。岩川飛行場は、基地であることを悟られないため、昼間は滑走路に刈草を敷いたり、牛を放牧したり、移動式家屋や樹木を立てたので終戦まで米軍に発見されることは無かったと言います。美濃部指揮官は、部下の命を大事にし、特効に対して異議を唱え、もっとも合理的な戦法として夜間爆撃を強く主張し、これが上司より認められた人物として知られている。☆芙蓉の塔パンフレットより引用。
芙蓉部隊の飛行場跡地です。
名前 |
芙蓉之塔 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0986-28-0111 |
住所 |
|
HP |
https://oosumi-kankou.com/topics/%E8%8A%99%E8%93%89%E4%B9%8B%E5%A1%94/ |
評価 |
4.4 |
周辺のオススメ

隣には資料館があります。