古墳の背に棲む、奈古神社の静寂。
奈古神社の特徴
奈古神社は、天孫降臨の伝承地として信仰されている神社です。
神社の背後には、古墳の荘厳な雰囲気が広がっています。
明治以前からの歴史を感じさせる深い由緒があります。
宮崎北高校の南側の南方にある神社。かつてはこの神社から東は海であったため奈古岬八幡宮とも言われたらしいです。南方・池内・上北方・下北方・花ヶ島・江平六力村の産土神として崇敬された神社だそうです。知らなかったのですが、「宮崎」の由来となった神社です。奈古神社の宮の前(さき)に広がる土地なので、宮崎と地名がついたそうです。あと、宮崎神宮の元宮といわれ、日本開闢史の中では鎌倉時代に奈古神社より御分霊をお持ちし神武天皇社を造ると書かれているそうです。身近にあるの知りませんでした。
今年の1月1日(月)元旦は天赦日、一粒万倍日、天恩日が重なる今年最初の最強開運日です!そんな日にどこにお参りするか悩んで、由緒のある奈古神社へ2度目の参拝です。(何となく…はこれも何かのご縁かな)こちらの参道両脇のこんもりした苔がお気に入りです。ちょうど太鼓と祝詞が始まり、運気が上がった気がして今年の御札はこちらで拝受しました。辰年なので素敵な龍神のお正月限定御朱印を選びました。大きいので曲げて貼るのが勿体ない💧今年もみんなが健康で笑顔でいられますように(-人-)
奈古神社:880-0037\t宮崎市南方町御供田1192祭神:天津彦彦火瓊瓊杵尊アマツヒコヒコホノニニギノミコト天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト神日本磐余彦尊カムヤマトイハレヒコノミコト神社の背後は前方後円墳で天津彦彦火瓊瓊杵尊の御陵と伝えられている。この地へさらに武内宿禰命が成務天皇時代に天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と神日本磐余彦尊を追加してお祀りしたと言う。古くは長屋神社と称し、明治期には宮崎神宮大祭の折には祭のスタート地点とされていた。しかし、神代の天津彦彦火瓊瓊杵尊の御陵が前方後円墳と言うのは「時代が全く誤っている」と思われる。私の勝手な想像・・・古い地名や神社名から①長屋神社から奈古(なご)神社へ改称=鎮座地の古い地名は「吾田長屋笠狭」、これを「アッダ=海神・ナグーヤ=神の鎮座地・カササ=最愛の」と発音すれば、この地は紀元前は「海神を祀る聖地」だったと言える、その聖地へ天孫族系が前方後円墳を造ってしまったのだろう。➁吾田族は「猿田彦神=海神で神の王や大山津見神=元海神」と共に古い国津神、吾田國=薩摩国の古名、吾田津姫=木花佐久夜毘売。
今年最後の天赦日10月17日とても⤴️⤴️氣になっていた奈古神社に参拝。⛩️から直ぐ空氣が変わりとてもやさしい氣で迎えて頂ける御祭神ニニギノミコトの神社です✨後ろには前方後円墳がありニニギノミコトの可愛山陵とのこと✨拝殿に向かって右側のムクロジ(無患子)木の辺りが⤴️⤴️何かがいる楽しい氣配がしてなりませんでした。何だかんだで1時間半くらい滞在していました。宮司さんと参拝に来られてた宮崎市内方楽しい時間をありがとうございました✨また必ず参拝します✨導きに感謝✨
昔ながらの狭い道の集落内にありますが、神社専用駐車場もあり、参拝しやすいです。何百年も前から名前は知られている神社です。社殿も江戸時代に作られたっぽい感じですが、神社敷地内にあると言われてる古墳ともども説明がほしいところです。
元々は神武天皇をお祭りしていて神武祭の出発地であったとの説明文を読みました、神社の裏は前方後円墳があり荘厳さを感じながら参拝しました。駐車場は最初の鳥居の右横にあります。
奈古神社は、天孫降臨した瓊瓊杵命の古墳の伝承地として、裏にある古墳全体が御神体となっており、宮崎神宮の元宮として古くから信仰があった歴史ある神社です!宮崎の名前の【宮】は、この奈古神社のことを指しており、奈古神社の社紋には、天皇家の菊の御紋、五七桐が重なっており、その重要性を物語っています!宮崎を代表するだけでなく、日本を代表する重要なパワースポットです!奈古神社では、非常に質の高いお祓いをして頂く事ができますので、ぜひ、こちらで各種祭り事などされてみてはいかがでしょうか?
雰囲気のよい神社でした⛩地元の方が大切にされているとききました✨
2021年11訪問、上井覚兼日記でも出てきた神社。趣きがある。
名前 |
奈古神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0985-29-5105 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.5 |
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この神社の山の形は前方後円墳のように思えます。ここは弥生時代から稲作があった地域。祈りの場所でもあったでしょう。