大塔宮で味わう歴史のひととき。
大塔宮御駐蹟碑(餅搗かぬ里)の特徴
大塔宮護良親王に纏はる歴史的な碑が立っています。
元弘元年十月晦日を記念した貴重な遺産です。
餅搗かぬ里で歴史を感じるひとときを楽しめます。
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名前 |
大塔宮御駐蹟碑(餅搗かぬ里) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0739-48-0301 |
住所 |
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HP | |
評価 |
5.0 |
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大塔宮護良親王に纏はる元弘元(一三三一)年十月晦日の出來事を記念した碑です。武藝に秀でた親王らしく、刀劔の形に似せてあります。碑文の刻字と案内の文章を書き出してみました。案内は句讀點があったりなかったりで、表記も當時のものかは判りませんが、故事が短く良く纏まってゐます。◆碑文敵に追はれ ひそみし溪の紅葉さへ愛でる閒なけむ 大塔の宮◆案内餠搗かぬ里六世紀の風習を破り お詫びの餠獻上紀州鮎川村民の恐懼大塔宮樣 六百年祭の一插話逆臣の兇刄に御最期を遂げ給ひし大塔宮護良親王の六百年祭は來る十八日より三日閒、御最期の地鎌倉の官弊中社鎌倉宮で盛大に擧行され、殊に大祭當日の十九日は祭典の御模樣を全國に中繼放送することになってゐるが、この輝く、六百年祭を前に紀州鮎川の一寒村が六百年の風習を破ってはじめて餠を搗き同宮大祭に獻ずることとなった。しかもこれは實に六百年前、戰塵妖雲の巷に落ち延び給ふ大塔宮樣に對し祖先が冒せし過ちに對し全村民が今にして捧ぐる悔悟の結晶なのである 元弘元年十月二十九日の夜大塔宮護良親王には逆賊討伐の戰ひに利あらず、追ってを避けさせられつゝ供奉の人々と共に紀州鮎川に落ち給ふたが深夜險路の御長途に携へ給ふ食もなく空腹の限りに在らせられた、その時村は亥の子祭で農家は戸每に粟餠を作り軒先に吊るしてゐた 宮にはせめてこれでもと思召し餠を所望されたところ、農家ではすでに「落ち人には食を與へてはならなぬ」との禁令がまはってゐたので後難を恐れて之を拒み奉った、落ち人の身の如何ともし難く宮の御一行は空腹の儘落ち延び給ふた 村人はその後これが大塔宮の御一行と知り大に恐懼 以來六百年全村民正月と雖も餠も搗かず、ひたすらに宮に對する謹愼をしてゐたが、今年輝く六百年祭の御盛儀を聞き傳へ、永き風習を破ってはじめて餠を搗き村民の代表が東上、十九日神前に棒げ六百年の過去のお許しを乞ふことになりこれを機會に正月の餠搗きの行事を復活すると言ふ。昭和十年八月十三日號「時事新報」より轉載。