明治時代の千曲川渡河点へ。
大屋仁王尊の特徴
明治時代に千曲川渡河点であった歴史を持つ場所です。
大屋仁王尊由来記に記された貴重な案内看板があります。
かつて大屋橋建設の重要な拠点だった史跡です。
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ここは明治時代大屋橋建設まで、千曲川渡河点であった。浸食斜面のため、高い崖上で睨みをきかせている。春は一本桜🌸が素晴らしい‼️
名前 |
大屋仁王尊 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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大屋仁王尊由来記(案内看板より転記。)・この仁王尊は、古文書によると慶安年間三 代将軍家光の時代に書かれた「田畑検知帳」 にその存在が記録され、さらに出石藩より上田藩主に移封された松平忠周公に差し出され た「大屋村差出帳」にも観音堂跡、阿弥陀堂跡などと共に「仁王堂」の記録があり、阿弥陀如来または観音菩薩の守護神として仁王尊の存在したことが推測される。・寛保二年、八代将軍吉宗の時代に「戌の満水」と呼ばれた関東一円を襲った大水害のため、仁王尊の一体は千曲川に転落流失した。・当時度重なる水害のため、観音堂や阿弥陀堂の復元はなく仁王尊のみが大屋地区北国街道沿いに安置され、水害犠牲者の供養と河川鎮護の守神として近郷住民の尊崇を得てきたが昭和三十四年、国道沿いから現在地に移転してから風雨による損傷が多く、今回改築委員会により地区住民各位の支援を得て改築再建を果たし落慶法要を挙行した。・末永く河川鎮護、悪疫退散、開運出世の霊験を垂れ給うことを祈念する次第である。平成五年三月吉日 大屋仁王尊改築委員会・大屋自治会。