神功皇后ゆかりの古社。
鷹尾神社の特徴
神功皇后ゆかりの神社で歴史を感じられる場所です。
境内には牛の宮があり、地域の方々に大切にされています。
整備された公園や公民館があり、憩いの場となっています。
柳川市内の方に住んでまして、以前から参拝したいと思い、この度参拝させて頂きました。境内に入ってみると、手入れがきちんとされてありました。地域の人々に愛される神様だと感じ、温かい気持ちになりました。また、駐車場が分からなく、裏側から車を入れました。駐車場の案内看板を掲げてあると分かりやすいと思います。
神社前の道路は用事でよく🚗通行しますが境内に入ったのは初めてです。クチコミで入口が狭いとあり道路から確認したらホント狭くて入る気になれず(車の通行量が比較的多い交差点、入口は橋でほぼ直角)。通り過ぎてUターン、結局、道路向い側近くのお寺さんの境内に見学者の説明板らしきものが見えたので短時間駐車させて頂きました。神社の境内に公民館や遊具があり周りは民家。比較的賑やかな雰囲気の神社です。最後は民家の番犬?に吠えられ、早々に引き上げました。❁鷹尾神社(八幡宮u003d八幡神社)【祭神】応神(おうじん)天皇仲哀(ちゅうあい)天皇神功(じんぐう)皇后【神格】文武の神、弓矢の神(武神)、破邪の神八幡信仰の総本社は大分県宇佐神宮。
新築やお祓い色々とやってくれます。値段は神社に聞いて下さい。駐車場が分かりにくい。
神功皇后ゆかりの神社⛩️境内は公園や公民館が整備されていて地域の人の憩いの場となっています🎵駐車場がなく、境内に停めることが出来ますが、道幅が狭くてコンパクトカーまでしか入れません(^^;
駐車箇所が解らず、周辺を一周してたどり着きました。神社は小規模ですが、良く整備されていました。社務所が解らず御朱印は断念しました。
境内にある牛の宮は私の先祖の祠で地元の方々に大切にされています とても歴史のある祠だと感じました!
日本書紀に列ぶ神功皇后事跡のうち、山門郡周辺は辛卯、層増岐野に至り、卽ち兵を舉げ羽白熊鷲を擊ちたまひて之を滅す。謂ひて左右に曰く「熊鷲を取り得、我が心の則ち安し。」故、其處を號けて曰く、安なり。丙申、轉じて山門縣に至り、則ち土蜘蛛なる田油津媛を誅す。時に、田油津媛の兄なる夏羽、軍を興して迎へ來る、然し其の妹や誅せらるを聞くや之を逃ぐ。と、あっさり終わる。その陣を張り、腰を下ろしたとのことで、境内に子安神社がある。ところが歌碑があって筑紫女が ゑみの眉山高来山 高峰霞めり春立つらしも(ゑみの眉山高来山とは、筑紫の西空に麗しく聳える雲仙岳のことである。作者は幼少の頃から八十余年、朝に夕にこの山の勇姿に親しんだ。)神功皇后が陣を張った地ということで訪ねた社であったが、歌碑の説明が自分には衝撃的だった。高来山とは、筑紫の西に見える雲仙岳のことだという。…雲仙って、筑後平野から見えるのか!温泉(うんぜん)神社u003d四面宮が筑紫国魂を名乗った意味が解らずにいたけど、筑後平野から仰ぎ見る神奈備であったのか。肥前國風土記に曰く。昔、纏向日代宮御宇天皇、肥後国玉名郡長渚浜の行宮に在し、此の郡の山を覧して曰く。彼の山の形、別島に似つ。属陸の山か、別居の島か、朕之を知らまく欲すと。仍て神大野宿祢を勒し遣り、之を看さしむ。往き此の郡に到るや、爰に人有り、迎へ来り曰く。僕は此の山の神、名は高来津座。天皇が使の来ませるを聞きはべり、己迎へ奉ると。因みて曰く、高来郡。四面宮は筑紫国魂神社とも呼ばれ、「筑紫国魂神社記」に「是国魂の神、高来津坐神なり」とするのはこのことであるらしい。高来津坐神を「たかつくら」などと読んでいたが「たかくつにますかみ」とも読めるし、「たかきつ」かも知れないし、そうすると高木神の子孫かも知れない。地名が鷹ノ尾、神紋も鷹羽、田川(←鷹羽)との密接な関係があった筈。境内には公民館もあって、地元の人々が清掃していた。
神功皇后の伝承が残る古社。神功皇后が陣を置いた場所だそうですが、弓矢の戦いの時代の相手との距離感はどうなのか気になります。かなり前線にあるように感じました。
神功皇后伝承地田油津姫討伐行軍中に立ち寄った皇后に漁人は鰤を献上し舞曲を奉した。御祭神応神天皇・神功皇后・仲哀天皇筑後一ノ宮である高良神社(現大社)の別宮となるそうだ。境内摂社に子安神社が鎮座し背後に皇后腰掛石がある。当社は矢部川からこの地を守るように東を向く。
名前 |
鷹尾神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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令和6年2月3日参拝御朱印あり(書置き)祭神:応神天皇・仲哀天皇・神功皇后旧社格:県社貞観十一年(869年)創建とされる神社。