鍋島家の奥津城で静寂を楽しむ。
鍋島家春日御墓所(鍋島直正公・鍋島直大公の墓)の特徴
幕末の名君、鍋島直正公のゆかりの地です。
静かで落ち着いた雰囲気が魅力の場所です。
奥津城の歴史を感じる特別な墓所です。
静かで良い場所。
幕末佐賀藩の名君、10代鍋島直正公と最後の藩主直大公から公爵家の時期を経て現代に至る鍋島家の奥津城。墓域は手入れが行き届き、荘厳な雰囲気。駐車場も数台分あり。
名前 |
鍋島家春日御墓所(鍋島直正公・鍋島直大公の墓) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP |
https://www.saga-otakara.jp/search/detail.html?cultureId=2120 |
評価 |
4.6 |
周辺のオススメ

※グーグルナビでこちらを目指すと、とんでもない山道に連れていかれます。「鍋島直正墓 駐車場」ポイント作りましたので、そちらを目指してください。さすが江戸開闢より明治まで続いた鍋島家で、明治維新の雄藩-薩長土肥の1つに数えられるまでに佐賀藩を育てた、幕末の名君「鍋島直正」のお墓、立派です!ちょっとした古墳みたいな見ためしています。とても静かな所で、来るまで何故こんな辺鄙なとこと思っていましたが、良いところです。あとドングリパラダイスでした笑『 鍋島直正の墓鍋島直正、一八一四(文化十一年)~一八七一(明治四年)は、第十代佐賀藩主で、その座にあること三十余年、古賀穀堂の助言を得て、保守的弊習をいましめ、人材登用のため弘道館を拡充した。また長崎警備の役を積極的に利用して蘭学導入に乗り出し西洋文物の輸入をはかり、反射炉を築造して大砲を鋳造、三重津(川副町・諸富町)に造船所・海軍伝習所を開いて諸藩中最大の海軍力を育成した。また藩の財政再建に努め佐賀藩をして、薩摩・長州と並ぶ雄藩に育てあげ、幕末諸藩中の名君とうたわれた。明治維新は新政府の枢機に参画し、参与・蝦夷開拓使長官などを歴任した。鍋島直大は直正の長男で最後の佐賀藩主、のちイタリア公使等を歴任。古賀松根は幕末の肥前有数の歌人で、直正の側近として使えたが、主君の死に会い殉死した。昭和四十八年十月文化財を大切にしましょう。資料提供 佐賀県教育委員会 佐賀北ロータリークラブ 』