由緒ある印鑰神社で夏祭り。
印鑰神社の特徴
印鑰神社は奈良から平安期にかけて、印と鍵を保管した重要な場所です。
夏祭りを通じて地元の文化を体感できる、魅力あふれる神社です。
肥前国府に関わる歴史ある印鑰神社で、由緒が深い神聖な空間です。
ここは夏などのとき夏祭りがあります。大和の歴史を教えてくれるかのような感じがします。是非ここはオススメします。
肥前国庁に関係する印に関わる神社。国分寺や国分尼寺も近く、ある時期の肥前国の中心の痕跡になります。
尼寺にある印鑰社はもともと奈良~平安時代(8世紀前半-10世紀前半頃)には肥前国府の印と鑰を保管した所であり、語音はインヤクと読むが多くは他国でもインニャクと呼ばれ、この印鑰は国印と国府倉庫のかぎを意味しており、駅鈴などと共に国司が国務を執行するに当たって最も重要なものとされていたそうです。平安時代の後半頃、各地で、この印と鑰が神格化し、御神体となっていった。後世になってからこの御神体として他の神を祭るようになり、現在印鑰杜の御神体は大己貴神=大国主命です。尼寺の印鑰社は南北朝末期の永徳2年〈弘和2年〉(1382)8月、鑰山城主鑰尼信濃守藤原季高が建立したものであるが、文明2年(1469)千葉氏の内乱で国府や国分寺と共に兵火にあい焼失したそうです。 寛政元年(1789)3月、破損した社殿を成富左兵大蔵種模が村内氏子と共に再建した。 明治元年(1869)氏子寄進によって拝殿を修築したみたいです。推定300年のクスノキがあり、パワーをもらえます。
私たちの氏神様 由緒ある印鑰神社の由来印鑰神社は律令時代(七世紀後半ー十世紀前半頃)には肥前国府の印と鑰(かぎ)を祭った所である。この印鑰は国印と国府倉庫のかぎを意味しており,国司が国務を執行するに当たって最も重要なものとされていたのである。後世になってからこの御神体として他の神を祭るようになり,現在印鑰社の御神体は大巳貴(おおなむちの)神=大国主命である。南北朝末期の永徳二年(一,三八二年)鑰山城主鑰尼信濃守(しなのかみ)藤原季高が建立したものであるが文明二年(一,四六九年)千葉氏の内乱で兵火にあい焼失した。寛政元年(一,七八九年)成富佐兵大藏種模が村内氏子と共に再建したもので爾後幾度かの改修がなされ約五九〇年余を経過し由緒深い 尊くも おごそかな我が氏神様である。平成三年三月大和町境内掲示版佐賀の名木古木登録番号 12342樹 種 クスノキ樹 齢 推定 310年所有者又は管理者 印鑰宮郷土の緑を愛しましょう境内南のクス狛犬:「文久三(五?)癸 亥十一月 𠮷日 當邑氏子中」1863年。
名前 |
印鑰神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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平安期、印鑑と蔵の鍵を収めていた場所。