武士道に触れる朝陽軒跡地。
葉隠発祥の地の特徴
武士道とは死ぬことと見つけたりで有名な歴史的な場所です。
山本常朝が執筆を行った朝陽軒の跡地です。
偉業を称えるモニュメントが佇む神聖な地です。
「葉隠発祥の地」と言っても、特に庵の跡が残ってるわけでもなく、顕彰碑があるのみです。考えたら、九州の片田舎(でもないですが)のオッチャンのつぶやきが何百年も世界中で読まれるなんて。後、葉隠とは関係ないですが、顕彰碑の裏を道なりに進むと古墳があります。駐車場は手前の道路沿いにあります。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」で有名な葉隠の口述者、山本常朝が出家後の住処としていた朝陽軒の跡地である。大変奥まった場所に静かに佇んでいる。周りに茂る木々から漏れる光に照らされた石碑は、辺りのひっそりと沈んだ雰囲気と相まって荘厳な様相を呈していた。何故だか分からないが背がぴしゃりと伸びてしまう。ここで余生を過ごし、武士とはいかに生くべきかを熟考した日々の心のうちはどのようだっただろうか、今の自分の生き方はどうなのだろうか、自分のための人生を生きていないか等ふと気付いたら思いを巡らせてしまう場所である。車で来る場合、近くにある金立公園に停めるといいだろう。そこからトンネルを抜け、高校手前を左に曲がって進むとたどり着く。(2017/10)
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」の一節で有名な「葉隠」執筆者山本常朝の偉業を称えるモニュメント兼執筆の地とされている場所です。荘厳な雰囲気が漂っており、一瞬を生きることの大切さを思い起こさせてくれます。
死ぬことと見つけたり!😊
とてもゆかりある場所で、神聖な気持ちになれるが、佐賀はどうしてこうも観光資源を活かせないのか。と思ってしまう場所でもある。
宝永7年3月5日 佐賀藩士の田代陣基が佐賀藩士山本常朝にはじめて会う。山本常朝52才。隠棲10年目。田代陣基は33才。葉隠発祥の地となる。ここは黒土原の宗寿庵。正徳三年(1713年 ),鍋島光茂の側室霊寿院がここに葬られたため、大小隈へ庵を移している。
死ぬことを見つけた❗
死ぬ事見つけたり。
名前 |
葉隠発祥の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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4.3 |
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今は碑があるだけですが説明看板もあり一度は訪れても良いと思います。