近隣の戦跡巡りで歴史を感じて。
独立臼砲第一連隊戦没英霊之碑の特徴
沖縄戦での勇戦敢闘を記念する場所です。
ひめゆりの塔とは異なる静寂な環境が特徴です。
近隣には数多くの戦跡が点在しています。
ひめゆりの塔などの観光地化した場所と異なり人気がなく寂しい場所ですが近隣に数多くの戦跡があり皆に訪れてほしい場所です。名刺入れがあるので行く都度お線香をあげるついでに名刺を投函しています。行くたびに少しずつ周りは整備されていますが駐車場がないのが不便です。風部隊の碑の次にありもう少し行くとトイレがあり足場もよいです。ぜひ沖縄の平香をもって周辺のたくさんの碑をお参りください。
独立臼砲第一連隊(どくりつきゅうほうだいいちれんたい)は、日本陸軍の砲兵部隊の一つで昭和20年6月沖縄戦にて勇戦敢闘後全滅したとあります。昭和19年6月24日編制基準人員400名。
名前 |
独立臼砲第一連隊戦没英霊之碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.pref.okinawa.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/006/775/ireitou_n205.pdf |
評価 |
4.0 |
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独立臼砲第(連隊は照和十五年八月 満州公生嶺にて対ソ作戦に備えての特殊兵器を装備した秘密都隊としてそうせつされたものであります。昭和 十七年 九月 三ヶ中隊からなる独臼一大隊を編成カタるカナル島攻略戦に出陣、在「が島」師団指揮下に入ったが参戦の機会を逸したまま終戦までラバウル方面の戦備に任じた。一方連隊主力は昭和 十九年 八月本土防衛の第一線、沖縄作戦に出陣した。又、残留部隊に独立臼砲第 三大隊を編成、昭和 二十年 四月済洲島防衛に趣きた此の地で終戦を迎えた。沖縄決戰、参加した、連隊主力は現地隊兵を併せ第 三十二軍直属球 三六六六組隊となり現地防衛隊他学徒献身隊の参戦協力を得て昭和 二十年 四月 一日米軍上陸を迎撃敢闘 五ヶ月に及ぶ激戦の未 我が臼砲連隊は 六月 十六日をして組織的戦闘行動に終止符をうったのでありますこの慰霊碑は独白第一連隊に関係ある沖縄戦ラバウル・他、太平洋戦争に従軍し散華した戦友の英霊を合肥し合同慰霊碑を碑と建立した。尚この慰霊碑は我が臼砲連隊の秘密兵器 九八式臼法実物大原形に基づいて碑石を掘し建立しました-碑文より-