明治の歴史、壮観な櫓を巡る。
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本丸北西の塁線上に位置する横長の二層櫓で神辺城から移築されたと言われる。黄金水の裏に位置し人質櫓と棗門と結ぶ多聞櫓の門にあった。由来の名前は荒布を櫓内に納めていたから。荒布(かじめ)とも呼ばれ昆布の一種であり、此れを乾燥して保存食として籠城などに備えていた。あくが強いので水に戻して味噌汁にも利用していた。
名前 |
福山城 内七番櫓(荒布櫓)跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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二重二層の長い櫓があったそうですが明治初期に建物は解体されたらしいです石垣上にある櫓は壮観な眺めだったのでしょうね。