日吉神宮寺跡で歴史探訪!
名前 |
日吉神宮寺跡 / 日吉神宮寺遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/cultural-property/160873 |
評価 |
4.0 |
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日吉神宮寺跡この平坦地は、日吉大社の飛地境内で日吉神宮寺遺跡と呼ばれ、平成十六年東京の法華山王清浄講社が 神宮寺の顕彰を日吉大社に呼び掛けられて賛同し、史跡整備の一環として平成十七十八年度に遺跡 全面発を行った。 伝教大師最澄の伝記である『叡山大師伝』に、最澄の父、三津首百枝が子供を授かるために祈願した場所が 「叡岳左脚神宮右協」と読め、後には神宮禅院となって、最澄が比叡山に入る前にもここで祈願し仏舎利を得たということが記されている。また、室町時代の『日吉山王社古図』(延暦寺蔵)やその写しの『秘密」 王曼茶羅』(大社蔵)には、元亀二年(一五七一)の織田信長の比叡山焼き討ち以前の建物が描かれており 当地と推定される場所に建物が建っていたことがわかる。また『日吉山王秘密社参次第記』ではその 建物に「神宮寺」と記されている。江戸時代には奥惣社と呼ばれる小さな祠が建てられ、大正十四年には 当地の片隅に神宮寺旧跡と刻まれた石碑が建てられており、この地が神宮寺の伝承地として認識されてい 発掘調査の結果、石積によって北・西・東が囲まれた方形の敷地内に建てられていた室町時代の礎石 建ち建物と、さらにその下層に平安時代の遺構面があることを確認した。なお、建物は比叡山焼き討ち以前に廃絶していたことも新たに分かった。