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| 名前 |
お手形の池跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
茶道 上田流の祖 上田宗箇(重安)は、浅野家の上席家老であり、佐西郡(大竹、大野、廿日市、佐伯など)の領主として小方(大竹)に城を持つ武将でした。茶の湯界では、天下一宗匠といわれた武野紹鴎、千利休、吉田織部に継ぐ茶人で、小堀遠州と並び称される人物です。また大名庭園を手掛けた作庭家でもあり、阿波徳島藩の「徳島城表御殿庭園」や紀州藩の「和歌山城紅葉山庭園」、安芸広島藩の「縮景園」、そして「名古屋城二の丸庭園」などが代表作で、他にも寺院の庭園などもあります。浅野家の不幸がもとで、元和から寛永にかけて、領地の一部であったこの地に隠棲し、茶・創作三昧の生活を過ごしました。その際、ここには旱(ひでり)の時にも涸れたことがなかった湧き水の池があり、それを生活用水としていたそうですが、現在は完全に水が涸れてしまっています。ちなみにこの近くに上田宗箇が住んでいた庵があったそうですが、現在は国道186号線が通っており、当時を偲ぶことはできません。この「お手形の池跡」の場所はかなり分かりにくいです。地図にも載っていなかったので、1回目は全く分からず、2回目にしてようやく朽ちた標柱を見つけることができました。町か市か、案内板などを建ててほしいですね。