遺構がよく残る南曲輪へ。
古御家城跡の特徴
標高515mの南側坂道より、古御家城跡へ容易にアクセス可能です。
南曲輪は遺構がよく残り、土塁や堀跡が見どころです。
神社や鳥居、石碑があり、歴史を感じる場所となっています。
標高515m、比高約65m南側の坂道にある階段から登ったチョイやぶあるある(^^;意外にも南曲輪は遺構がよくのこってる♪段曲輪に土塁、堀跡など♪竪堀はけっこうデカイ♬南曲輪周辺だけ だけど(^_^;)神社や鳥居、城跡の石碑があったよん今も堀が埋められそう...(*T^T)宅地史跡破壊あるあるあるあるっ( ̄_ ̄|||) どよ~ん。
城主 松岡氏平山城(515m/65m)土塁 郭 堀。
名前 |
古御家城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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南小学校の南方に要害の地があるが、これは松岡氏の頃の城址である。 松岡氏が新井の古城へ館を作ったのは11世紀の終わり頃(1077)と云われているが、その頃この場所へ作ったのが古御家城であると云われている。面積は余り広くないが、北の台城方面から南の知久城への眺望もよく、萩山神社付近からは数十メートルの急峻な山上の地で城として最適の場所であった。南小学校北方高森資料館の裏手にある大丸山の地も、当時の見張り所か狼煙台に使われた所と云われており、古御家は松岡氏ゆかりの重要地点であったと思われる。近年は住宅地となってしまったので周囲は埋められてしまったが、松岡氏にゆかりのある家々の氏神も祀られている。お姫様の井戸と云われる「清水」も枯れることなく流れ続けている。(林 藤人『高森の史蹟と伝承を訪ねて』龍共印刷株式会社平成10年発行より)