馬関戦争の地で歴史を感じよう!
国指定史跡 長州藩 下関前田台場跡の特徴
馬関戦争の主要な舞台として歴史的価値がある地です。
初めて外国と戦った場所としての重みを実感できます。
長州の攘夷思想を一変させた歴史的な場所です。
何もないが、砲台跡としてVRが見られるので、当時の様子が想像できます。駐車場はありませんが、少しの間なら何台かは停められます。少し上に行くと、向きも変えられるので、車で直接訪れても大丈夫です。
今は何もないように見えますが、ここは馬関戦争の主要な舞台でした。良く教科書でも、当時の前田砲台が占拠された様子が掲載されています。よくよく見てみると、当時の土塁であったりが確認可能です。関門海峡を見ながら、当時の様子を想像してみるのも面白いのでは?
何もないけどもう馴れたVR やパノラマで観せようとする努力は感心する。しかし歴史的遺構を観に行くのなら自分で脳内を補強し創造しながら想像し妄想するべきだと思わせてくれました。でも目の前の建物がすげぇ邪魔。
攘夷戦争(1863~1864)・明治維新(1868=M1)等から、僅か数十年で、五大国会議(1919=M52=T8)に出席した日本。なぜそんなに急激に発展できたのかを疑問に思って、インターネットで色々調べてみました。【幸運】 日本は、明治の開国後わずか50年ほどで、なぜ大国になれたのだろうか? 天から幸せが降ってくる国だけでなく、地の下から幸せを掘りだせる国。【幸運1)】天から幸せが降ってくる。 ゴビ砂漠からアミノ酸をふくむ埃が飛んで来て降り、雨もたくさん降る。三圃式農業などしなくても、ナイル川が流れていなくても、米が毎年取れる国、日本。ヨーロッパでは、冷害やチフス等でガタっと人口が減少したりするが、日本では、農業生産人口の急減は、欧米に比してほとんど無い。【幸運2】地の下から幸せを掘りだせる。院内銀山・阿仁鉱山等、東北で銀が産出し、東洋一の大銀山と言われた。明治政府は、「借金を一度にまとめて返せ」ともしも言われたら困るだろうが、「少しずつ返せ」と言われれば返せる収入源があったのである。【幸運3】ロシア封じ込めの蓋(ふた) 英国は、100年後200年後も世界一の大国であり続けるためには、ロシアの南下政策に対抗して、ロシア封じ込めを世界戦略とする。クリミア戦争(1853~1856)で、英仏はオスマントルコを助けてロシアと戦い、クリミアに在ったロシアの海軍基地を放棄させた。東アジアでもロシアの南下を食い止める国が必要だった。 戊辰戦争(1868~1869)では、江戸幕府を後押ししたフランス、薩長軍を後押しした英国の、日本市場のシェア争いは、英国側が勝ち(1868=明治元年)。世界一の大国である英国に、親しい政府、が日本に成立した。英国の債権:下関戦争の賠償金・奇兵隊や薩長軍への武器弾薬その他の代金が残っている以上、日本政府を転覆させこの債権を無にさせるような試みは、英国が断固許さない。 ロシア封じ込めの蓋(ふた)の役割は、日本に果たさせていくことになる。【幸運4】英国をも凌ぐ技術力 富岡製糸場に購入したフランス製の紡績機(1872年=M5年)はしばしば故障した。しかし日本人は平気でそれを修理し、さらに(1876年=M9年)改良機ガラ紡まで作る。それまで、機械で製糸された糸は、一本の糸が太くなったり細くなったりしているため、世界の貿易において、人の手で製糸された高級品とは異なり、低級品として扱われていた。しかし、日本のガラ紡で製糸された糸は高級品として取引された。 英国製品を凌ぐ紡績機械を作れるような高い技術力を持った日本である。【結論】世界の、銀行家・投資家・商人は【幸運1】~【幸運3】のように、支払いできる国、日本に、「すぐに支払え、返せ」とは言わずに。「利息は払ってもらいますが返済は急がなくていいですよ」「いえもっとお貸ししましょう」「もしよければ投資させて下さい」と言うだろう。【幸運4】のように特色ある国・技術力ある国・発展が期待できる国に対しては、ボッタクッテ何回かだけ搾り取るよりも、発展に協力して長く深く様々に商取引をしていく事の方が大儲けになると商人は思えるだろう。 いくつもの幸運が重なった国、日本これらの幸運の重なりが何年も続いた日本は確かに発展したが。 日本にあこがれ日本をまねようとする国々では、そんな幸運の重なりに出会えるのだろうか?
今でこそ平和な日本だが…。
今は何も無いけど初めて外国と戦った場所で、此処から長州、高杉、竜馬、薩摩、西郷、無血開城、大政奉還、維新へと展開して歴史の重みとロマンを感じます。
残念です。もう少し整備して欲しいです。
初めて来ました。みもすそ川公園にある大砲の模型の本物がここに据えられ、欧米4ヶ国連合と戦った戦場だと思うと考えさせられます。ここには案内板、石碑と煉瓦造りの建屋があるだけですが、写真にある通りVRシステムがありスマホでアクセスすると画像と共に説明が聞けそうです、親切な設備ですね。
長州の攘夷思想を一変させた歴史的な地。現在は車通りの多い道の脇にあるひっそりとした削平地となってます。
名前 |
国指定史跡 長州藩 下関前田台場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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歴史的には価値が有る場所ですが、もう少し工夫が欲しいですね。