三尾山城登頂、歴史に触れる旅。
三尾山城跡の特徴
三尾山城跡の歴史を感じる素晴らしい景観が魅力です。
四季折々の自然が楽しめる美しいロケーションです。
城跡の周辺には魅力的なハイキングコースが多数あります。
Good良い。
アクセスは大型バイクで、三尾山城を対象でトレッキングして、初めて登頂して来ました。13時頃、中山公民館からスタートし同ゴール、中身は2時間程度でしたが晴天で汗ばんでの楽しいトレッキングでした。スタートは田んぼ、畑の長閑な景色の中、農耕機の轟音なども心地良い環境の中、神社を右手に過ぎた所で、ジブエ止め柵をこじ開けてのスタート、そこから高速下を過ぎて、左手道へ進む(右手の高速下へは行かず)。三尾山登山の案内が無いまま、ひたすらアスファルトが朽ち果てていると思われる人工の登り道を5、6分暫く歩くと、ようやく真正面に丸太の階段の登山口?が目に出来る。そこには登山の掲示板が左手にあり、当初は立て看板としてあった、三尾山登山口の看板が足元に現れたら間違いなく登山道です。そこからは沢横を歩く登山道で陽当たりは悪く静寂そのもので鳥の鳴き声と沢の水音だけですが、何とも優雅な気分が味わえますよ。ここから注釈、沢を渡る丸田橋を渡ると山小屋(避難後か休憩所)が有り、その右横には岩登り難所が登山者を阻む様相ですが、其れを無視して左手のつづら折れ登山道に戻ります。大小の石が転がる登山道ですが、土よりは歩き良いものでした。道沿いには山頂まで1150mから始まり100m毎に掲示されていました。残りが650m辺りから急登が始まり、つま先上がりのキツイでしたね、但しつづら折れの道筋で有ったので心理的には随分と助かりました、いい山道だなあと嬉しい心持ちでしたね。南朝時代山城の見張り台の管理道としては非常に良い傾斜道です。この後からは漸く木漏れ日が入り始め、心折れるところが助けられます。4月のこの時期、ミツバツツジがあちらこちらで紅一点の輝きを光らせていますので、飽きがないですね春だけに、、、。そろそろ残り150mに成ると太陽も見て取れて、二段構えの山城作りがどーんと現れ、圧倒される丘陵と度肝を抜かれます。残り50mで最後の丘陵を登り、漸く登城(登頂)を果たせました。584mの頂上は大方360°のパロラマでの絶景が仰げます。心地良い気分で少し遅いですが、絶景を楽しみながらのランチを、用意されたベンチが3台の北方面の物に落ち着き、殿様気分での時間を過ごさせていただきました。この高さの山の割には結構距離を感じた気がしますが、この絶景を見れば全てチャラです。トレッキングの性質での醍醐味による、苦痛の後の感動での幸せしか感じませんでした。素晴らしい三尾の山容も去ることながら、歩き良い登山道と人の手が入らない素晴らしい山でした。2時間余りの往復でしたが、低山の魅力を大いに教えらた三尾山に感謝します。下山も同じ登山道で戻りました。もともと、山城目当てでも有り縦走は改めて10年後ぐらいに考えています66歳、西宮の苦楽園地区からの登山者でした。これから行かれる方、是非一度でいいので三尾山登山に行って見てください。低山の魅力が身に沁みます。宜しくです。2021年4月20日晴天。
| 名前 |
三尾山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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赤井直正の弟幸家が築いたとされる 天正六年十一月、幸家が但馬に出陣中の留守をついた明智勢の攻撃によって 落城した。三尾城を失った幸家は黒井城に入って明智方に抗戦を続けたが、翌年、赤井一族は 明智方に降り幸家は西紀の三尾山弘誓寺に隠棲したという。赤井氏と結ぶ波多野氏が支配する多紀郡とを繋ぐ要地でもあった。