町民体育館隣の多目的スポーツホール。
旧七本木小学校跡所在地 上里町大字七本木ここ七本木の本郷の地に小学校が初めて建てられたのは、明治十六年三月であり、地元有志者の寄附により郷倉二個を合せ間日間半、奥行四間の校舎を建築し、同年三月一〇日開校したものである。これより以前明治五年八月学制発布により同六年三月八日隣地の法泉寺に小学校を開き、住職丹羽懐道を教師に嘱託し授業を開始したのが草創で、同年一二月には西福寺へ移転、住職日尾野敬が任用された。当時の児童数は九五人であった。明治一九年、三町・堤の児童入校。同二五年、新学令により七本木尋常小学校と改称。同二九年四月二八日、賀美高等小学校(同三八年解散)の設置に伴い高等科児童を移す。同二九年八月六日、間口一一間、奥行三間の瓦葺校舎が増築落成、同九月一二日には間口四間、奥行二間半の二階建教員室落成。同三八年、高等科を併置し七本木尋常高等小学校と改称、旧賀美高等小学校を分教場とし高等科に充用。同四〇年、立派な石門完成。同四二年四月、新校舎落成、校地七反四畝一六歩、校舎本館間日四三間奥行四間半、中央間中一一間、二階建とし旧校舎を東西の袖とし湯香所、便所ニサ所をその裏口に設る。玄関の龍と虎の彫物のある鬼瓦もこの時造。られたものである。大正二年七月、実業補習学校を附設する。昭和四年二月起工六月一七日落成の増築校舎は、二階建間口四三間奥行五間(一回教室)であった。昭和一六年四月、埼玉県児玉郡七本木国民学校。'同二四年四月一日、七本木村立七本木小学校となり、七本木中学校併置。同二六年九月、七本木中学校は京塚地内に移転。同二九年五月三日、町村合併により上里村立七本木小学校と改称。同四二年七月、プール完成。同四六年、町制施行により上里町立となった。同五一年上越新幹線通過に伴い廃校、上里東・現七本木両校に分かれた。開校から一〇四年の伝統ある校史の幕を閉じたのである。昭和六十一年三月上里町役場。
名前 |
上里町 多目的スポーツホール |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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町民体育館の隣にある、こちらの多目的スポーツホールは、柔道、剣道、空手、卓球、各種レクリエーション等に使われるそうです。