神武天皇の歴史と共に。
妻垣神社の特徴
玉依姫命や応神天皇を祀る、歴史的に重要な神社です。
清掃が行き届いた境内で、心の落ち着く雰囲気を楽しめます。
神武天皇にまつわる伝承が伝わるパワースポットです。
神聖な雰囲気で大切にされている神社です。地名:安心院 の由来となった場所です。妻垣神社付近、15分程登ると御神体の磐座がある天種子神社があります。道は細いのですが急な階段の近道、遠回りですが、緩やかな幅広の道の二通りから登れます。優しい心遣いで、手作りの杖を備えてくださってます。日本の心 の歴史を知る事ができる場所です。
大分県宇佐市にある妻垣神社は、非常に古い歴史を持つ神社で、その起源は神武天皇の東征にまで遡ります。神武天皇が東征の途中で立ち寄り、母である玉依姫命の御霊を祀ったのが始まりとされています。その地は「足一騰宮」と名付けられ、これが妻垣神社の始まりであると伝えられています。妻垣神社の主祭神は比咩大神(ひめおおかみ)で、玉依姫命(神武天皇の母)と同一視されています。また、八幡大神(応神天皇)と神功皇后も祀られています。足一騰宮は、ここの他に和尚山の登山口(池の前)や宇佐神宮にもあります。
現代にも神宿る場所とはこのようなの神社だと思います。宇佐神宮や御許山大元神社より個人的には心落ち着き神と繋がる場所のような気がしました。何かを感じます。とにかく全てが素晴らしい九州でも数少ない神社の一つです。
妻垣神社。九州で重要な神社の一つです🐈あしひとつあがりのみやが有名です祭神比咩大神(玉依姫)八幡大神(現在は応神天皇が通説)神功皇后(息長帯比売命)由緒より今より2600年も遥か昔、神武天皇は日向を発し東国へ向かわれる途中、宇佐に立ち寄られ。宇佐国造の祖ウサツヒコ、ウサツヒメの兄妹は神武天皇一行を迎え入れ、急遽、宮を造り盛大にもてなしました。翌朝、天皇は朝霧の素晴らしいこの地をご覧になり、大変お気に召され。連なる山々よりひと際輝く共鑰山に御母、玉依姫命の御霊をお祀りする社をお造りになり、自ら祭主となって、玉依姫命の御霊を共鑰山にお迎えし、社を「足一騰宮」と名付けられました。このことより当社の歴史が始まりました。妻垣神社の由緒です。一柱騰宮現在の由緒は「古事記」に沿って、足一騰宮とされています、主祭神も比咩大神(玉依姫命)とされています。「比咩大神」が「比咩大神(玉依姫)」に、「一柱騰宮」が「足一騰宮」へと修正され日本書紀で表記されていたものが古事記 で表記されたものになっています。神社や古代史を紐解くには偏った見方はきんもつです。いろんな角度と書物から見ないとどれも身内には甘く書いてます🐈「日本書紀」「古事記」にこれら上記の初見があります。「神武紀」という書物には神武天皇が筑紫国宇佐に行き、 後に宇佐國造の祖ともなる宇佐津彦と宇佐津媛から出迎えを受け、宇佐川の上流に造られた「一柱騰宮」で饗応を受けた。また、ウサツヒメを妻とした侍臣天種子 が後に中臣(藤原)氏の祖ともなったことが記されているのは看過できません。現在は古事記の由緒で祀っていることから現神社庁の圧力があったと僕は考えます古事記を編纂したのは藤原です右へ習う。こうでもしないと神社経営が難しく社格も上がりません仕方なかです。最後にあしあがりひとつのみやについて天皇がやってきますお宮を建てなければいけません簡単に作ったお宮階段1つ上に。これくらいでいいかなこれがあしあがりひとつのみやの正体ですここに来た天皇とはおそらく神武天皇ではなく家来の崇神天皇です。崇神天皇は第10代です。時代が合わないですが、藤原が書き換えたので時代そのものがズレてます。それでも正史として扱われ現在の神々の系譜に混乱をおこしていますウサツヒメを妻にしたとされるあまのたねこ‐の‐みこと【天種子命】「日本書紀」などに見える、中臣氏の祖神。 天児屋命(あまのこやねのみこと)の孫。 神武天皇の東征に従い、祭祀をつかさどった。 天多禰伎命(あまのたねきのみこと)。中臣は後に藤原になります。妻垣神社に飾られている家紋は三ツ巴ですがよく見るとオタマジャクシが細いですこれは八咫烏が管理していることを意味し。細いオタマジャクシを見かけたらここは八咫烏の支配地ということを覚えておいたらいいと思います🐈宇佐神宮にこの土地を奪われたというお話があり三女神社が鳥居の額に二女神社と表記したに関係してくるのですがこのお話はまたの機会に八咫烏支配地の妻垣神社へ是非行かれてください☺ありがとうございます🐈
ご祭神は、玉依姫命、応神天皇、神功皇后です。創建は、天長年間(823-834)当地に神幸した八幡大神の神託により、勅使石川豊成が宇佐宮より勧請をうけ妻垣山の麓に神殿(外宮)を建てたといわれています。足一騰宮(上宮)と一体として妻垣神社となっています。妻垣神社は、「宇佐宮行幸八箇社」の一社で6年に一度宇佐神宮から御輿が巡幸され、社殿は宇佐神宮の式年造営、行幸会の際などに造替がおこなわれてきました。
田園風景の中に大きな看板が目立つのですぐに分かります。入口の鳥居の横の坂道を登ると広い駐車場があります。奥にも数台停めれました。杉の木の林の中に朱色の社殿があります。御祭主神は玉依姫命です。境内はこじんまりとしていますが、とても綺麗にされています。境内の石灯籠の足元に玄武等の彫刻も施されていますし、色々な看板が建てられていて、神社の事がよく分かります。お賽銭箱の横に三種類の御朱印がありました。境内の左手の門をくぐり、石畳を歩いていくと右手が開けていて慰霊碑があります。更に散策すると妻垣神社の元宮、足一騰宮に行く看板が有り、行ってみることに。看板があるので迷うこともなく辿り着けましたが、山道が急勾配です。息が上がりました。神職の方や参拝者は見かけませんでしたが、とても厳かな気持ちになる神社でした。
お正月に初詣に行きました。小さいですが、綺麗な神社です。書き置きの御朱印も3種類あり、3種類共頂きました。水に浮かべると字が浮き出てくるおみくじがありました。少し急ですが坂を上がった所に駐車場もありましたよ。
はじめて来る場導かれて来た感あります。自分的パワースポットだと思います✨
妻垣神社は、とてもパワーのある神社です。なんと応神天皇のお母様である玉依姫が主祭神で祭られています。オーブが写ったよ。玉依姫だから、オーブが写ったのかも。後ろにある山上に磐座があり、玉依姫がその磐座に降りたとされています。水占いもあります。大吉だったよ。Lucky girl だから。
| 名前 |
妻垣神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0978-44-2519 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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妻垣山(ともかき山)は太古、比咩大神の御降臨された霊地にして宇佐神宮第二殿と云われるので、妻垣神社のご祭神を見て、宇佐神宮の比咩大神がどなたかを考えます。妻垣神社のご祭神 以前の由緒記から鎮座地 安心院町大字妻垣字大門203番地祭神 比咩大神、応神天皇(八幡大神)、神功皇后現在は、比咩大神(玉依姫)、八幡神(応神天皇)、神功皇后由緒 妻垣山(ともかき山)は太古、比咩大神の御降臨された霊地にして宇佐神宮第二殿と云われる。八幡大神は、称徳天皇 天平神護元年 宇佐八幡この地に行幸 駐輦の地に 同年十月八日勅使石川豊成に八幡の神託有り、神殿を創建し奉祀。神功皇后は淳和天皇天長年間に御勧請し奉祀。一柱騰宮(アシヒトツアガリノミヤ) 神武天望御東遷の砌り、宇佐国造の祖 菟狭津彦 比の処に宮殿を建立、奉饗せる旧跡で、当時天皇、天種子命を以って比咩大神を祭らせ給う。当社は、比咩大神を祀って八幡社と号し、曾ては普賢寺以下四坊の神宮寺を擁し当郡、中津、島原の領民百余村の氏子を有し、宇佐郷の宗社として崇敬され今日に至る。📝当社は比咩大神を祀って八幡社と号し→比咩大神アカル姫を祀って、その父 正八幡大幡主を以って八幡社と号し の意。📝妻垣神社のご祭神 比咩大神はアカル姫(スサノオ妃) 五七桐はアカル姫の紋様。📝アカル姫→市杵島姫→大山咋神→ミマキ入彦(ハツクニ神武\u003d贈崇神) 親→子→孫→ひ孫📝宇佐ツ彦(生目入彦)と宇佐ツ姫は、ハツクニシラス神武天皇(ミマキ入彦)を宇佐に迎える時、宇佐○○川に一柱騰宮(アシヒトツアガリノ宮)を創建してもてなした。その折、天種子は、宇佐ツ彦の妹 宇佐ツ姫の婿になった。📝六角形の燈籠は、亀甲\u003d大幡主を表わす。