歴代神馬の跡地、山坂神社の神秘。
住吉大社は、壱岐・対馬や北九州を発祥地とする航海の神様です。誉田別皇子(ホンダッワケノミコ:応神天皇)のご生誕にも関わり、神功皇后の軍事政策の成功から、その直系の王朝である仲哀-応神-仁徳-履中の4代は、河内に巨大な古墳を築き、道路や堤および港湾の建設を実行しました。国勢が飛躍的な進歩を遂げたことに伴って、住吉大社も大阪(摂津国)に進出し、民間の信仰も相まって社運は隆盛を極め、奈良時代には多くの広大な社有地を保有していたようです。そのような次第で、神事をつかさどる神馬(白馬:アオウマ)も神功皇后の時代から、大和王朝の寄進があったようで、文献的には白河上皇の寄進が確認されています。その後は皇室の威信が武士(将軍)に替わり、頼朝の寄進が確認されています。また、神馬の飼育は土師氏が神功皇后の軍政に功があった経緯から、当田辺の基礎を築いた同族の田辺氏とその子孫が相伝して、担当していました。しかし、江戸時代の住吉信仰はむしろ民間により支えられ、神馬の寄進は当時財力が旺盛であった木炭の協同組合によって、維持されていたようです。なお、神馬の飼育や没後の管理は伝統的に田辺郷の住人に任され、その厩舎は「性應寺」の北東隅と、「北田辺郵便局」の北隣にあったとされますが、現在その地は共に駐車場になっています。飼育は北と南にそれぞれ3名の舎人(トネリ)が任命されていたが、男子系の一子相伝のために、次第にその後継者が減少し、明治の末期には橘忠三郎一家のみとなっていました。神馬の遺骨(たてがみ)は山坂1-11にある「うどんやかぜ一夜本舗」の西側、JR阪和線に沿った一角に、末廣氏によっ丁重に現在も祀られています。
名前 |
神馬塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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当時の山坂神社周辺は広大な放牧場で田辺の地域から住吉大社へ白馬を神馬として奉納していたらしい、ここはその歴代神馬の墓で住宅街の中に有り神馬のタテガミが遺骨として祀られる。因みに隣接するのは『うどんや風一夜薬』の本社です。