高山城跡で山城探訪。
小早川氏城跡(高山城跡)の特徴
高山城跡は、駐車場と案内板があり、アクセスも便利です。
郭巡りが楽しめる、歴史的な要素が魅力の城です。
未整備の自然を楽しめる、典型的な山城に気軽に登れます。
2022/02/20新高山城跡へ登ったついでにやってまいりました。それぞれハイキングレベルなので、両方訪れるのがお買い得です。登ってみて分かるのですが、規模の大きさに驚かされます。山全体が要塞となっており、新高山城のような案内板がないので、迷子になってしまいそうでした。険しい部分へは、ロープが廻らされており、親切です。こちらも柴刈りがしてあり、快適に散策できます。専用駐車場がありません。少し歩きますが駅前へ有料駐車場があります。写真二枚目は、山頂より新高山城跡の眺めです。
車で行くと東側の高坂町方面から登れ、集落を過ぎると駐車場と案内板があります。登口は三尺道、搦手道があり搦手道のほうが急でした。三尺道にはキチンと積まれた石垣があり大手口を感じさせます。扇の丸の本丸側にも立派な石垣がありました。北の丸~二の丸~本丸は広大に削平されておりヘタな小学校の敷地くらい面積がありそうでした。本丸から直接西側に向かうと藪と急坂になるので難しいです。高山城はⅡ状の2つの峰から成り、北の丸~二の丸~本丸の峰と、出丸~イワオ丸~西の丸の峰に分かれます。鞍部に馬場となり、矢竹で一部覆われていますが経路のみ刈られ道筋が示されています。西丸~出丸には土塁堀切があり西側に大規模な竪堀がありました。イワオ丸は岩が一部剥き出しになっており岩付近から本郷方面が一望できます。高野丸~は段差のある切岸ありロープが張られてます。西の丸からは新高山城が望めます。
高山城(たかやまじょう)は、現在の広島県三原市本郷町にあった日本の城である。城跡は国の史跡に指定されている。高山城は小早川氏の居城として建永元年(1206年)、遠平の孫・小早川茂平により築かれた。その後、小早川氏は沼田小早川氏と竹原小早川氏に分かれたが、高山城は沼田小早川氏(本家)の居城であった。天文10年(1541年)、竹原小早川家の当主小早川興景が継嗣なく早世したため、毛利元就の三男徳寿丸(小早川隆景)を養子に迎えた。隆景は天文13年(1544年)同家の当主となる。一方、沼田小早川家の当主小早川繁平は若年のうえ病弱であったので(失明していたとされる)、隠居に追い込まれ、天文19年(1550年)隆景が沼田小早川家をも継ぐこととなり、両家は統合された。隆景は天文21年(1552年)、対岸の新高山城に居城を移したため廃城となった。
8月にイワオ丸経由、本丸へ登城しようとしました。イワオ丸までは、何とか行けましたが、本丸までの道は竹藪や草が凄く、また、やぶ蚊等の虫も大量で断念しました。地元の方に聞いたところ、駐車スペースがある登り口からだと本丸までなんとか行けるそうです。また、画像のようにロープを掴んだり危険な箇所もあるため、山城に慣れていない人は、雨の日は登るのを控えた方が良いでしょう。
新高山城より郭巡りが楽しいと感じた。
新高山城跡から沼田川を挟んで反対側。崖が剥き出しの場所が目立つ。また、山の中腹まで住宅街が見られる。地元の方々によると山道はそれ程整備されておらず、イノシシもいて登山はおススメしないとのこと。
典型的な山城に手軽に登れます。
まだ未整備なのがよい。
かなり長い間、あまり入山されてない様子。のぼりのポールと吹き流しだけでした。
| 名前 |
小早川氏城跡(高山城跡) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
沼田小早川氏の本城です。車で城の東側から少し登った所にある駐車場より登山道から登りました。登山道は落石が多いので注意が必要ですお城は二つの尾根に築かれ広大です。かなり石積が使われています。