末近信賀の墓、歴史を感じる場所。
備後羽倉城主 殿様墓の特徴
羽倉城主の末近信賀のお墓がある歴史的な場所です。
由緒ある史跡として多くの観光客に知られています。
地元の歴史や文化を感じることができるスポットです。
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名前 |
備後羽倉城主 殿様墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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羽倉城主であった末近信賀(せちか のぶよし)のお墓です。小早川隆景に仕えたそうです。秀吉の備中高松城水攻めは有名ですが、このとき毛利方の援軍として高松城に入城したそうです。本能寺の変を知った秀吉は、高松城主の清水宗治の命と引き換えに城兵を救うという条件で、急いで和睦を行いました。清水宗治が水攻めの水に浮かべた舟の上で自刃する際、一緒に切腹したそうです。入り口の石碑に辞世の句が刻まれています。辞世は「君がため 名を高松にとめおきて 心は皈る(かえる) 故郷の方」。治水や新田開発などに尽力したそうなので、羽倉の地に思い入れがあったのかもしれません。その後、秀吉は有名な中国大返しで京都へ向かい、山崎の戦で明智軍を破って一躍天下取りのトップになります。秀吉を描くと必ず出てくるストーリーの関係者が地元にいるのは驚きでした。