南天満公園近く、滝川町の歴史を感じる。
旧町名継承碑、滝川町。以下、碑文の紹介。原文ママでないところもありますが悪しからず。当地は、明治初期には既に滝川町という町名であった。昭和53年の住居表示の実施に伴い、滝川町は天満4丁目となり消滅した。現在の大阪市立滝川小学校は、滝川町と河内町にまたがって存在した「天満惣会所」跡地に明治5年に創立されたもので、その後、現在建っている場所に移転したものである。町名については、元禄元年(1688年)版と伝えられる「辰歳増補大坂図」にすでに「たき川丁」と記載がある。町名の由来については明らかではないが、当地域には佳字表現を用いた町名としてほかに「龍田町」、「朝日町」があるため、当町も同種の命名かと考えられる、との記載がありました。以下は、碑文にあった固有名詞などをwikipediaで拾い読みしたものです。辰歳増補大坂図のみ、大阪市立大学地域連携センターHPからの引用。「佳字」とは、簡単に言えば、縁起の良い、めでたい文字、または当て字を意味する。「惣会所」は、江戸時代の大坂における惣年寄(町役人)の事務所らしく、今でいう町役場でしょうか。「大阪市立滝川小学校」は、創立明治5年。「北大組四区小学校」として、天満組惣会所跡地で開校(現在の滝川公園〈天満4丁目〉北側)。「辰歳増補大坂図」は、貞享4年~元禄元年(1687~88年)に編まれた大坂の地図で、「辰年増補大坂図」とも言われる。現在、神戸市立博物館が所蔵。方位を北にした最初のもので、町屋はすべて黒一色で描かれ彩色は一切なしのモノクロ地図。それまで大坂の地図は京都の版元から出版されていたが、この地図からは大阪の版元となったとのこと。この地図は、ほかの旧町名継承碑碑文でも参照していることがあり、旧町名についてのネタ本でしょうか。
名前 |
旧町名継承碑 『滝川町』 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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史跡南天満公園の歩道上です。