夢窓国師の庭で感じる歴史の息吹。
吸江禅寺の特徴
歴史ある吸江庵がルーツの仏教寺院です。
細川や長宗我部に保護された重要な文化財です。
本堂はお寺らしからぬ独特なデザインが特徴です。
細川、長宗我部が保護、山内一豊中興。
夢窓疎石の吸江庵が起源。1318年、疎石は北条高時の権政から逃れて土佐に下り庵を建てた。疎石が浦戸湾を吸江と呼んで庵を吸江庵と名付けたので、此の地の地名が吸江となった。疎石は世界遺産の西芳寺(苔寺)や天龍寺の庭園を設計したことでも知られる禅僧。後醍醐天皇から夢窓国師と国師号を受け、歴代天皇から7度、国師号を賜与されたので七朝帝師とも称される。足利尊氏も疎石を師と仰ぎ、尊氏の政治顧問となったこともあり、吸江庵は室町幕府の厚い比護のもとで隆盛し海南の名刹と呼ばれた。ただし、疎石は土佐に下った翌年には横須賀に移り住んでいる。また、明治初期の火災で創建当時のものは石段、石垣しか残っていない。廃仏毀釈運動の犠牲なのかどうか、ともかく残念なことだ。ちなみに竹林寺の庭園は疎石の作だ幕末の坂本龍馬や土佐勤王党に繋がる土佐南学の源流は、この疎石の土佐滞在から始まったと言われる。
庵のなごりか、本堂はお寺らしくないですが、庭は良い感じです。静かで、ほっとする感じです(^-^) 駐車するスペースもあるようですが、護国神社から歩きました。すぐ近くなので(^^) あと、パゴダもちゃんとお参りしましたよ。
その昔は吸江庵と呼びました。開祖:夢窓疎石(1318年)夢窓疎石は鎌倉の北条家にも室町幕府を開いた足利家にも信頼が厚く、足利政権下では手厚い保護を受けました。その中で四国管領の細川家に仕えた長宗我部家が寺社奉行としてかな吸江庵を保護しており、本山氏や安芸氏に比べて所領の少なかった長宗我部家は細川家の庇護と吸江庵の財により隆盛を極めた。戦国期は寺社勢力がやや衰退するものの、やはり元親の庇護を受け存続してましたが長宗我部家が土佐を追われると衰退しました。その後、湘南宗化が住職として吸江庵に入り中興されます。この湘南宗化により「吸江寺」と改名され現在にも続いています。
細川、長宗我部が保護、山内一豊中興。
| 名前 |
吸江禅寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
088-883-3695 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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吸江寺(ぎゅうこうじ)は鎌倉時代に作庭家・夢窓国師こと夢窓疎石により開かれた寺院。臨済宗妙心寺派の禅寺だそうです。吸江禅寺、境内が「吸江庵跡」(ぎゅうこうあんあと)高知県指定史跡。世界遺産『天龍寺庭園』、『西芳寺庭園』の作者として知られる夢窓疎石。2021年年始に4年ぶりに氏が作庭と伝わる国指定名勝『竹林寺庭園』を訪れた足で、五台山の麓にある氏の旧跡・吸江庵跡にも立ち寄ったそうです。元々はこの場所も竹林寺の境内地だったそうで、『竹林寺庭園』が夢窓疎石作庭と伝わってきたようです。昭和後期には境内に「高知平和パゴダ」も建立。現在の住職様はとても素晴らしい方で、この方がいらしてからは手入れが行き届き、四季折々、溜息の出るような景色になってました。 吸江庵が再建され、池の水連とメダカに。