白雉の歴史に抱かれた温泉。
白地城址の特徴
阿波の豪族である大西家の重要な旧領地に位置する史跡です。
応仁の乱前の権力争いを繰り広げた三好一族との関係が深い場所です。
幻の都、倭京との歴史的な関連性が指摘されている神秘的な地です。
空気も美味しくゆっくり観れます。もう少し環境整備すれば思います。
長宗我部ファンです。なんか温泉宿♨️が建ってました。しかたないので、日帰り温泉入るかと思ったのですが、平日は日帰りやってなかった↓長宗我部元親指揮所に行った方がいいです。
全国の大西さんのルーツ阿波の近藤家一族中でNo.1の家格をほこる(近藤親家の子孫の谷藤家より格が高い大西家)のちの大西家の旧領地讃岐の国・伊予の国・土佐の国の各地で権力を振るった阿波の国では、甲斐源氏の流れをくむ(信濃源氏のトップ)小笠原家の分家の三好村の三好一族との領地争いを頻繁に行った(応仁の乱の直前まで)応仁の乱に大西家は、駆り出され弱体化それまで阿波に大西家ありと言われ阿波の豪族達は、恐れと尊敬の心を持ったと言われる🌠細川氏(ほそかわし)は、本姓は源氏、鎌倉時代から江戸時代にかけて栄えた武家。清和源氏の名門足利氏の支流。名字は鎌倉時代に三河国額田郡細川郷(現在の愛知県岡崎市細川町周辺)に土着したことに由来する。の重臣の家柄🌠🌠大西・出雲守・ 藤原之高(おおにし・いずもの・かみ・ふじわらの・ゆきたか)の父は、近江の藤原氏のながれをくみ母は、甲斐源氏の流れをくむ阿波小笠原家から嫁ぎ之高を産んだのが今の通説。
国民宿舎になっているため、あまり原型を留めていない。近くのデイサービスセンターの中に大西神社があり、石碑があるが、ゆかりのものはそれくらい。
細かい遺構を除けば目立つものは石碑のみ。それも場所は非常に判り辛い場所にあります。整備不足というか、自治体の怠慢ですね。
城としての遺構はないが、のんびり入れる温泉がありました。
小学校の南西の小高い丘は、白地城跡で、かんぽの宿や大西神社などがある。大西神社には大西頼武・覚養父子が祀られている(覚養は白地城の最後の城主)。境内には「白地城址」の石碑が建てられている。白地城は、大西氏の居城として築かれた城である。1577年(天正5)に土佐の長宗我部元親の軍勢が攻略した後、元親はここを根拠地として四国統一を進めた。元親が豊臣秀吉に敗れ土佐に退いた後、廃城となった。
はくち、最初の元号である「大化」の次の元号も「白雉(はくち)」幻の都、倭京とのかんけいの可能性も。
戦国時代土佐の長曽我部元親の四国制覇の拠点で四国の真ん中に位置するところです。
| 名前 |
白地城址 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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案内看板やバス停に名残があります。