江戸時代の歴史を感じる、波爾移麻比称神社。
馬岡新田神社の特徴
立派な社殿が印象的な神社である。
江戸時代の歴史書阿波志に記載されている。
式内社である波爾移麻比称神社の一つである。
式内社 波爾移麻比称神社馬岡新田神社については、江戸時代の歴史書「阿波志」や「阿波史」も認めており、また後述の遺品などにより間違いないであろう。当時の社名は「波爾移麻比称(はにやまひめ)神社」と呼ばれ、農業神の波爾移麻比称命(埴安姫命・はにやすひめのみこと)を祭ったものである。現在、馬岡新田神社に遺されている神官の先祖千日太夫の大永二年(一五二二)の記録に波爾移麻比称神社とある。また、神社の宝として伝えられる竜頭(りゅうず)に正治二年(一二〇〇)五月吉辰大工藤原高綱とあり、木鳥の背に「埴山姫神社」と彫られている。また、明治四年に神社の庭から出土した室町時代の銅鏡の側面に「波爾移麻比称神社御神鏡」と釘彫りされている。これ等を総合して考えるとき馬岡新田神社は、千年以上も昔の百科事典『延喜式』に掲載され、以来ずっと信仰されて来た由緒ある神社ということがわかる。
式内社 波爾移麻比称神社馬岡新田神社については、江戸時代の歴史書「阿波志」や「阿波史」も認めており、また後述の遺品などにより間違いないであろう。当時の社名は「波爾移麻比称(はにやまひめ)神社」と呼ばれ、農業神の波爾移麻比称命(埴安姫命・はにやすひめのみこと)を祭ったものである。現在、馬岡新田神社に遺されている神官の先祖千日太夫の大永二年(一五二二)の記録に波爾移麻比称神社とある。また、神社の宝として伝えられる竜頭(りゅうず)に正治二年(一二〇〇)五月吉辰大工藤原高綱とあり、木鳥の背に「埴山姫神社」と彫られている。また、明治四年に神社の庭から出土した室町時代の銅鏡の側面に「波爾移麻比称神社御神鏡」と釘彫りされている。これ等を総合して考えるとき馬岡新田神社は、千年以上も昔の百科事典『延喜式』に掲載され、以来ずっと信仰されて来た由緒ある神社ということがわかる。
創祀年代は不詳。もとは、波尓移麻比弥神社と称していたが、元暦2年(1185)、屋島の合戦に敗れて当地に落ちて来た安徳天皇を合祀し、馬岡大明神と称した。
名前 |
馬岡新田神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0883-78-2132 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.4 |
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立派な社殿。綺麗に手入れされていて気持ちよく参拝できます。