岩崎弥太郎銅像の勇気を感じて。
岩崎弥太郎銅像の特徴
岩崎弥太郎の銅像は、江ノ川上公園から生家前に移設された立派な作品です。
龍馬伝をきっかけに、高知の歴史に触れる大切な場所として訪問したくなります。
銅像に出会える神峯寺まで母が歩いた道も、偉人の背景を感じさせてくれます。
鉛筆からロケットまで幅広く取り扱う総合商社三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の銅像。
この岩崎弥太郎の母親は、弥太郎の出世を願い、ここの家から20㎞離れた安田町の神峯寺まで歩いて、毎日参拝したそうです❗毎日20㎞歩いて神峯寺まで行ってた弥太郎の母親は大変な息子想いの人だったんですね❗ちなみに岩崎弥太郎は三菱の創設者です❗
龍馬伝を見るまでは全然興味がなかったけど、高知のこんな田舎から三菱を作り上げたのはすごいことです。
土佐の偉人の銅像は色々ありますが全て惚れ惚れでおます。
立派な銅像です。
身分制度の激しい時代、郷士から土佐藩に任されて、三菱グループの基礎を築かれた方。生家の場所であることから周りは畑😄ポツンとある感じでした 観光バスもやって来るんですね。
歩き遍路でわざわざ寄り道しましたが大正解。銅像なのに生気がみなぎっていて、圧がハンパない😲 元気をもらいました。生家の庭にある「石の日本地図」もしびれましたね。藩を国家と捉えていた時代になんというスケールのでかさ。そちらも見学をおすすめします。
展示物はあまり多くはありませんが、そこそこ楽しめます。たどり着くまで道幅が狭いのが難点です。
山を背景に雄大さが出てます。気持ちいいです。天気いいから、見る価値ありました。
| 名前 |
岩崎弥太郎銅像 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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銅像は、生誕150年を記念して江ノ川上公園に建立され、平成27年3月に岩崎弥太郎生家前に移設された。昭和59年は岩崎弥太郎生誕百五十年の年だった。この年を記念し、安芸市が立案し、安芸商工会議所などが中心となって全国に募金活動を展開した。目標の3千万円を1年で達成する活動だった。像の高さは3.3メートル、台座の高さ1.1メートル、その周囲に16メートル四方の別の囲みを作り、そこに弥太郎の活躍を象徴する版画風の絵が飾ってある。像の制作者は浜田浩造氏だ。芸西村の「お龍・君枝像」や、梼原の「維新の門」も彼の作だ。「故郷に帰り、和服姿で海に向かって立っている弥太郎をイメージし、時代の風を受けとめる大きさ、偉人のもつ独特の雰囲気を出したかった。かっぷくのよい高校時代の同級生に和服を着せ、大型扇風機で風を送って着物の裾の動きをみたり、手のひらの表情、右手の角度など幾度か作り直した」と作者はいう。撰文は日本芸術院院長有光次郎で、揮毫は安芸市出身の手島右卿だ。右手を力強くあげ、時代の激風に向かって立つ威風堂々とした弥太郎の銅像が除幕されたのは、昭和61年7月12日だった。(高知県立坂本龍馬記念館HPより)