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名前 |
内井跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
「内井の碑」より引用内井は、久野部村、五之里村、冨波沢村(冨波乙)・冨波新町村(冨波甲)四村の水田を潤し、先祖から子々孫々を育んできた。その灌漑総面積は、九十八町七反にも及び、豊富な水源や水路の維持管理は、四か村共同であったが、現在では想像のできないような苦労があった。このもと井は、出坪といわれる湧水池があり、面積は約四百坪、所在地は市三宅字木ノ元九五〇番地である。過去、この井水をめぐり争論が度々あったが、宝暦一二年(一七六二)京都町奉行所で裁許なされたことが記録に残されている。この灌漑地域は、野洲川ダムの完成により、水利体系も大きく変わり昔のような苦労もなく、夏には緑の風を運び、秋には黄金の波打つ美田と大きく変わった。この度、都市基盤整備に伴い、湧水池が埋没するため、先人の遺徳を讃え後世に伝えるため、この記念碑を建立する。平成六年三月吉日 野洲市。