砕導山城の忠魂碑、歴史を感じて。
戦国時代の武将逸見昌経(1522~1581)が主君である若狭武田氏に謀叛して立て篭もった砕導山城の曲輪のひとつ。眺望はさらに上の愛宕宮曲輪、妙見宮曲輪のほうがいい。ただ、この曲輪がほかの曲輪よりかなり広いスペースがあるのは戦国時代からのものではなく、ここに大日本帝国時代の忠魂碑があるからだろう。かつて忠魂碑は地元から出征して亡くなった英霊を顕彰し、その儀式を行うためのモニュメントであったから、たくさんの人々が集まるために広場が造成されたのだろう。
名前 |
砕導山城 忠魂碑 曲輪跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.fukuishimbun.co.jp/common/usr/castle/pdf/saitiyama.pdf |
評価 |
3.0 |
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砕導山城のなかでも広い曲輪で忠魂碑が建っている。