砕導山城の歴史を体感しよう!
逸見昌経により、1565年永禄8年に平山城が築城されました!織田信長の越後侵攻に組みしてましたが、昌経が病没すると逸見氏は滅び、溝口秀勝が入城しました!その後、山内氏ー木下氏ー京極氏と入れ代わり、酒井氏が若狭に入封すると、廃城となりました!今は、郭と石垣が残るのみです!
名前 |
砕導山城 佐伎治宮曲輪跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://wakasa-takahama.jp/wp-content/uploads/2020/02/d4196e9367378887cc0c55d386a0982b.pdf |
評価 |
3.2 |
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戦国時代に若狭武田氏の家臣だった逸見昌経(1522~1581)が築いた砕導山城の曲輪のひとつ。平場に掲示があるだけでとくに何かが残っているわけではない。ただ、忠魂碑までの参道から曲輪に上がるための石段が設けられていて、かつては佐伎治神社の境内社かなにかがあったのかも知れない。