新田義貞公の首塚、魅惑のひとひら。
新田義貞公首墳の特徴
新田義貞公の首墳は、田畑の中にぽっんと存在している。
円福寺への道中、細い板に記された説明文を探せる。
群馬県内でも特有の遺跡として隠れた魅力がある。
新田義重夫妻墓から40分位歩いて世良田駅の側を通り過ぎ円福寺(新田氏の代々五輪塔の有るのと別のお寺)に向う途中、国道の交差を潜り田畑の中に細くギッシリ説明文が書いた板が在りますが大き目の案内板が無く分かり難い。要は最初古墳が有り、更に出土した埴輪が武人形体で当時3万今の2500万?と価値があるも現在は天理大学所有。でその古墳に新田義貞公の妻の実家世良田氏が近くに悪源太義平の妻が首を弔った先例に基き京都で晒されていた首を収めた遺物が発掘調査の結果有るらしいですが長楽寺等お寺関係で非公開?でコロナ禍此処で史跡整備は止まっているとか新田義貞公首塚は少なくとも小田原市にも有り墓所も福井県、龍ケ崎市・太田市の金龍寺、花見塚神社各地に有ります。
畑の中の塚見落としがちな場所ですね。
新田義貞公の首墳(首塚)畑の中にぽっんとありました。
| 名前 |
新田義貞公首墳 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
新田義貞公の首塚と伝えられる場所は、群馬県内だけでなく、全国各地に複数存在します。これは、義貞公が越前藤島(現在の福井県)で討ち死にした後、その首が足利方に奪われ京に晒されたものの、家臣によって密かに持ち去られ、各地に葬られたという伝承が背景にあるためです。こちらへは、今回はクルマで行きました。クルマは国道17号線をはさんで逆側のねずみ塚公園南側の駐車場に停めて徒歩で5分程度で到着します。こちら世良田の『新田義貞公首墳』の解説看板には、昭和7年4月にこの地から義貞公と記された骨甕の破片と頭骨と覚しき若干の人骨、新田と彫られた板碑の断片が発掘されたとあります。また、義貞公の妹を妻にした世良田満義が義貞公の首級を新田に持ち帰り世良田の地に葬ったとしています。群馬県内では、世良田の首墳丘の他に、桐生市の善昌寺にも新田義貞公の首塚と伝わる五輪塔があります。こちらは、義貞公の首級を家臣の船田長門守善昌が密かに持ち帰り、手厚く葬ったと伝えられています。