チューリップ囲む歴史の墓。
芳心院墓所 (俗称万両塚)の特徴
徳川家康のお孫さんの墓所がある歴史的な場所です。
古墳や縄文住居が保存されている貴重な史跡です。
墓所周辺には美しいチューリップが植えられています。
ここ万両塚は、徳川家康公の孫、紀州徳川家初代藩主頼宣の娘、芳心院(茶々姫)の墓があります!!お墓周りには、空堀が、あり凄いです!!中には、古墳も、あります!!
徳川家康らのお孫さんらしいですね。立派なお墓でした。
古墳やら縄文住居が保存されている。
1708年に78歳で亡くなった、徳川家康の孫、芳心院の墓。生前から既に建てていたようです。空堀で囲まれており、高さもあるので、遠くから見てもわかります。
元々緑の深い一郭だったが、古墳と併せ整備されたものが年を経て良い味わいになった。散歩やランニングの途中に足を止め、ふと昔に思いを馳せることができる。無用な開発がされないことを願う。
非常に立派な史跡。徳川家康の孫にして、鳥取池田家初代藩主、池田光仲の正室である芳心院の墓である。元々高台の弥生遺跡、円墳などがある地に建てられている。
将軍の側室の方のお墓らしいです。堀があったり、遺跡があったり昔の墓石があったり、石門があったりします。石門がお気に入りです。お墓の前では、手を合わせましょう。
墓所の周りにはチューリップが植えられてて凄く綺麗な所です。
| 名前 |
芳心院墓所 (俗称万両塚) |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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建てるのに一万両はかかったとの伝承があり、万両塚とも呼ばれる芳心院のお墓です。深い空堀に囲まれたお墓で壮大な規模のお墓です。芳心院は、紀州徳川家のお姫様で、父である徳川頼宣の正室は、加藤清正の娘・瑶林院、さらに祖母は、徳川家康公の側室で、お万の方と呼ばれた養珠院です。いずれの方も熱心な日蓮宗の信徒で有名で池上本門寺に縁も深く、芳心院自身も熱心な日蓮宗の信徒と伝わっています。また、嫁いだ先の鳥取藩主の池田光仲とも夫婦仲も良く、嫡子である永寿丸も生まれます。しかしながら、永寿丸が病弱のため、無事に育てば出家させるとの願掛けしたところ立派に成長することができたそうです。とは言え、嫡子を出家させる訳にはいかず、代わりの男子を猶子にして出家させ、永寿院は、その縁で寺号に蓮乗院から永寿院と変えることとなったそうです。南北26.3メートル、東西 22 メートルの巨大な墓域をゆっくり廻ると、この巨大な空間は、権力を誇示するのではなく、生前に供養を積むための場所であったことが伝わってきます。また、近くに芳心院とともに信仰の生活を送った侍女のお墓もあり、不思議と心が静まる理由が分かってきました。