赤い皿に秘めた水の物語。
赤皿ガーの特徴
名称の由来は赤い皿と国王に水を差し上げた歴史だそうです。
浦添市安波茶の歴史を感じるためにウォーキングがおすすめです。
アクセスは浦添市役所前から県道38号を右折し、県道153号を南下します。
ウォーキングで巡る那覇の河川・樋川・井戸・湧水その152【番外編 浦添市安波茶】2021/07/04①場所(浦添市安波茶3-8 安波茶橋)●浦添市役所前から県道38号安波茶交差点まで行き、右折して県道153号を少し南下する。茶山団地前バス停手前のコスモパレス近くに2ヶ所、「歴史の道」や「中頭方西海道」とともに「安波茶橋」の案内標識があり、右下の谷間に下ると、「安波茶橋」の北橋・南橋が架かる。安波茶北橋を渡る手前から下流側フェンス内の崖を行く道を辿ると、すぐに「赤皿ガー」の小さな石積井(湧水)がある。●この辺りは、浦添間切・安波茶村安波茶原(ウラシーマギリ・アバチムラアバチバル)であった。②赤皿井(アカジャラガー)●訪問時にはフェンスがあり赤皿井は確認できず。●字経塚史旧王国の国道沿いにある赤皿井は湧き水であり夏でも冷たい清水がコンコンと湧いた。首里から浦添・普天間に行く途中、王様においしい水を献上する際、赤い漆器の皿に汲んで差し上げたところから「赤皿井」と名づけられたと伝えられる。戦前までは近くに民家(山内の具志川小)があり、飲料水として使用していた。●ここも「御松の御願」の拝みで廻る拝所で一班(北経塚原~南経塚原付近)が担当していた。●場所は浦添市安波茶ではあるが、経塚の拝所として御願されている。1916年に安波茶村の北経塚原・南経塚原が分離して、経塚の一部として統合された経緯があり、経塚の住民となった後も変わらず利用してきた。③御松の御願(ウマーチヌウガン)●「御松の御願」という呼称は全県的には稀であり、浦添では経塚のみが行っている行事である。首里では山川町、平良町、大名町などでも御願を行っており、廃藩置県(1879(明治12)年)以降、首里から来た人々を中心に屋取(ヤードゥイ)が大きく形成されたといわれるところから、当時の方々が首里の習慣を導入したものと思われる。●御願の内容は「火と水」への御願である。「火」は火事にならぬよう、また「水」は「火」を制御するため、火と水を拝むことにより経塚地域の発展、無病息災、家内安全を祈るものである。●御願は先に主だった者が夫婦井と赤皿井を拝んだ後、全体で経塚を拝む。その後一班が夫婦井、赤皿井、西の井、二班が古井、御殿井、三班が龍巻井、四班が樋川井、宮古井、普天間小、五班が呉屋の井、六班が洗江良井を拝む。●旧10月1日に行われている。④安波茶川(アバチガーラ)●経塚ではアバチガーラまたはアブチガーラと呼ぶが、安波茶ではメーガーと呼ばれている。アブチガーラとは「泡噴く川」のことで、昔、第一尚氏を樹立した巴志が浦添城を攻めた時もしくは、薩摩侵入の1609年に薩摩軍が首里に攻め上る際の激しい攻防がこのアブチガーラで行われ、多くの戦死者の血が川から噴きあがるほどだったという伝承からきている。⑤安波茶橋と石畳道●案内板国指定史跡 中頭方西海道安波茶橋と石畳道安波茶橋と石畳道は、1597年に尚寧王の命で浦添グスクから首里平良までの道を整備したときに造られたと考えられています。首里城と中頭・国頭方面を結ぶ宿道(しゅくみち、幹線道路)として」人々の往来でにぎわい、国王もこの道を通って普天間宮に参詣しました。橋は石造のアーチ橋で、小湾川に架けられた南橋と支流のアブチ川に架けられた北橋からなります。深い谷の滝壷の側に巨岩を積み上げる大変な難工事だったと思われます。南橋は沖縄戦で破壊され、北橋も崩壊していましたが平成10年に北橋を修復しました。橋の下流には、赤い皿(椀)で水を汲んで国王に差し上げたと伝えられる赤皿ガーがあります。浦添市教育委員会平成24年9月19日指定⑥オーグムヤーのカーラアシビ(河原遊び)●小湾川には経塚方面では4ヵ所の泳ぎ場所があった。上流にあるのはアカグムヤーといい、茶山団地の南側にあり、ニービ地質であったのですぐ赤く濁り、泳ぎに適していなかった。安波茶橋直下にナービグムイとオーグムヤーがあり、多くの子どもたちが遊んでいた。●鍋小堀(ナービグムイ)は石橋のすぐ下にある底が鍋状の淵で、青小堀(オーグムヤー)は鍋小堀のすぐ下にある蒼く澄んだ淵。アカグムヤーは赤小堀?。参照:浦添ウォーキングマップ湧き水探索(浦添南地域01)参照:字経塚史参照:うらそえなびドライブde湧き水巡り[by湧き水fun倶楽部]参照:浦添の湧き水 パンフレット湧き水fun倶楽部 編。
| 名前 |
赤皿ガー |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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名前は、赤い皿で水を汲んで国王に水を差し上げたことに由来しているようです。2024.9月現在は、入口にフェンスがあるため、入ることは出来ません。