学童疎開の歴史を学ぶ!
南風原国民学校学童集団疎開記念碑の特徴
南風原国民学校学童集団疎開記念碑は、沖縄戦の歴史的な瞬間を象徴しています。
駐車場の出入り口が近く、車の往来に注意が必要な立地です。
南風原文化センター駐車場出入り口付近にあるので車の往来には注意が必要。
「やーさん・ひーさん・しからーさん」の碑沖縄戦当時本土への学童集団疎開のあったことを記念する碑。
| 名前 |
南風原国民学校学童集団疎開記念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://openweb.chukyo-u.ac.jp/~shaken_archive/20170716002.html |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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昭和 一九年 六月の閣議決定を受け、第一次 一二四人が、 八月 二十一日和浦丸で熊本県日奈久、坂本へ、第二次 一四六人は、九月 九日に一進丸で宮崎県高鍋、三財、上穂北、美々津へ学童集団疎開しました。引率教師、その家族合わせて総勢 二七〇人でした。幼い学童達は、親元を離れ異郷の地で、「やーさん ひーさん しからーさん」、そして幾多の艱難辛苦を乗り越え 二年余勉学に励みながら逞しく生き、昭和 二十一年 一〇月頃に帰郷を果たしました。ややもすると忘れ去られがちな、この「学童集団疎開」の実態と、それが「沖縄戦の一環で国策として遂行された」という歴史的事実を後世に伝え、戦争を拒否し平和を創造していくという強い意志をもって、南風原国民学校学童集団疎開記念碑を建立します-碑文より-