西郷隆盛終焉の地を巡る旅。
勝海舟歌碑の特徴
背景に西郷隆盛終焉の地があり、訪れる価値ありです。
勝海舟が詠んだ詩を知ることで歴史の深さを実感できます。
南州神社の鳥居を潜った先に位置し、アクセスも良好です。
会談により江戸城無血開城を成し遂げた勝海舟と西郷、その後も親交が深かったが西南戦争で命を落とした「西郷隆盛」のために詠んだとされる。石の素材は花棚石。
西郷隆盛終焉の地を周る旅南州神社の鳥居を潜り、境内を右手に曲がって進むと、右手に設置されています。西郷と深い親交があった勝海舟が亡き友のために詠んだ歌碑。此処には「ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが なすがまにまに 果てし君かな」と刻まれています。西南戦争で自らの意図とは異なるものの、私学校派の少壮士族らによる反乱の責任を負って散って行った西郷隆盛への、勝海舟の想いを読みとることができます。以下、説明文より明治6年(1873)、朝鮮への使節派遣の問題で新政府を去った西郷隆盛は、鹿児島へもどり、青年の教育のため私学校を設立しました。ところが明治10年この私学校の生徒が、西郷の意志に反して暴走。ついには西南戦争を引き起こしたのです。この歌は、幕末以来西郷と親交の深かった勝海舟が、愛する私学校生徒に身を委ね生涯を閉じた亡友のために詠んだものです。隣に立つ常夜燈は、西郷と勝海舟との会談により江戸城が無血開城され、江戸100万市民が兵火を免れたことへの感謝のため、昭和14年5月当時の東京市によって建立されたものです。歌碑はこの常夜燈と同じ花棚石でできています。
| 名前 |
勝海舟歌碑 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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「ぬれぎぬを干そうともせず 子供らの なすがまにまに 果てしきみかな 勝海舟」