特攻兵器『桜花』の歴史散策。
野里国民学校跡の特徴
80年前、特攻兵器桜花の乗組たちが過ごした地です。
昭和31~33年に鹿屋基地の爆音対策で移転した学校跡です。
1945年春、神雷作戦を行った部隊が宿舎として利用した場所です。
出撃を待つ気持ちを考えると胸が詰まりそうになります。日本も戦争をしてきたという事実に直面した気持ちになりました。特に桜花の若き搭乗員達は決死の思いで出撃したんですね。飛行機が不具合で不時着や帰ることのできない人間爆弾。切り離されたら30秒以内に相手へ突っ込むか撃ち落とされるかのどちらかしかない。とんでもない特攻です。この戦争があっての今の日本です、この英霊の方々に感謝しかありません。
昭和31~33年に掛けて、鹿屋基地の爆音対策で現在地に移転する前の学校跡地。単なる学校としてではなく、先の大戦末期、人間爆弾「桜花」及び母機「1式陸攻」の鹿屋基地での作戦の為に 一時接収、隊員の寝起きに使われた事で 戦争史跡として国旗掲揚台の下部と、碑が置かれてます。大型車 小型車の駐車場も整備されており、鹿屋基地を見学後は 此方にも立ち寄り往時を偲ぶのも良いと思います。
グーグルマップを見て行きました。駐車場や案内看板があるので分かりやすかったです。学校跡や駐車場の向かい側辺りに桜花の碑があり、その前に立つと、水杯を交わした映像が頭に浮かび寂しくなりました。
1945年春に神雷作戦を行った部隊が宿舎としていた国民学校跡です。銃弾の穴がある国旗掲揚台が残っています。国旗掲揚台の一部は鹿屋基地に隣接する資料館のそばに移設され、掲揚台として現在でも利用されています。駐車場があるので車での見学も出来ます。
| 名前 |
野里国民学校跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0994-31-1121 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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80年前に1200キロ爆弾を抱いて27秒だけ航行できる特攻兵器「桜花」の乗組の方々が出撃前に過ごされた地。感謝とご冥福をお祈りしました。