自然豊かな加志の神秘神社。
太祝詞神社の特徴
延喜式神名帳に由緒ある社がある、静かなパワースポットです。
姫蛍が舞う幻想的な場所、自然豊かな神秘的な神社です。
加志地区の奥部に静かに佇む、歴史を感じる神社です。
延喜式に記載のある名神大社。対馬のト部の祖神である雷大臣命が主祭神の一柱であり、対馬での最後の屋敷跡と墳墓(拝殿の横にある石積みと宝塔)があると云われています。もう一柱は太祝詞神(天児屋根尊)です。雷大臣命は、神功皇后の三韓征伐に付き従った重臣(日本書紀では中臣鳥賊津として記載)の一人であり、対馬に残ってト部を伝えた人物とされています。三韓征伐のくだりでは、審神者を務めています。
2019年8月28(水)、[東横イン対馬厳原]に2泊しました。[太祝詞(ふとのりと)神社]、雰囲気は、写真参照。詳しくは、他のコメント参照してください。
延喜式神名帳で左京二条坐神2座 並月次相嘗新嘗のうちの一座太詔戸命神(現在廃絶)の本社に比定される非常に由緒のある社。
太祝詞神社は加志の大きな神社。雷大臣命の家跡であり、境内には墓があるという伝承もあるとのこと。近くに行くだけで何かパワーをもらえそうな立派な神社です。
案内も何も有りませんが、静かでパワーを感じる事が出来ます。
自然豊かで昔にタイムスリップしたかのような感覚になりました。このまま古き良き神社が残り続けて欲しいと思います。
寂れた神社ですが境内はそれなりに綺麗にしていました。
始まりの場所⛩姫蛍が舞う幻想的な場所です。
山の中の神秘的な神社です。
| 名前 |
太祝詞神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0920-53-6111 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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太祝詞神社(ふとのりとじんじゃ)。長崎県対馬市美津島町加志。式内社(名神大)、旧村社。かつては加志大明神・賀志宮とも称した。主祭神:太詔戸神(太祝詞神:天児屋根の別名)、雷大臣命。資料によると、806年(大同元年)の『新抄格勅符抄』に「太祝詞神 二戸対馬島」とあり、対馬島で神封戸2戸が与えられたとある。927年(延長5年)の『延喜式神名帳』には「貞タ太祝詞神社 名神 大」とあり、名神大社に列せられている。神社明細帳に、「神功皇后新羅を徒し玉ふ時雷大臣命御軍に從へり。新羅降属して凱還の後津島縣主となり韓邦の入貢を掌る。対馬下縣郡阿蓮村に房り祝官をして祭祀の禮を教へ太占、亀トの術を傳ふ。後加志村に移る。今太祝詞社に合祭す。」とある。明治七年六月村社に列せらる。大和国添上郡の太祝詞神社は、現在の天理市の森神社(祭神:天児屋根命)が比定されるが、天平神護元年(765)に対馬の当社から大和国添上郡にまず勸請され、平安遷都に併せて、さらに左京二條へと勸請されたと考えられる。そして現存するのが、本家たる当社と大和の森神社の二社である。当社の地が雷大臣の家跡と言い、境内にその墓と伝える宝筐塔がある。雷大臣命とは、中臣 烏賊津 (なかとみ の いかつ)、『日本書紀』等に伝わる古墳時代の豪族・中臣連の祖。『古事記』に記載はない。別名に中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)、雷大臣命(いかつおみのみこと)。『日本書紀』ではその系譜は明らかではないが、『続群書類従』所収の『松尾社家系図』によれば、臣狭山命の子で大小橋命・真根子命の父であるとするため、『尊卑分脈』に見える「跨耳命」と同一人物であると考えられる。『日本書紀』では「中臣」を冠するが、烏賊津使主の時代には中臣と名乗っていなかったとされる。とあります。