平和記念公園で手を合わせる母子像。
平和祈念像(草野心平の詩碑)の特徴
平和祈念像は1977年に建立された記念碑です。
母子像が原爆死没者慰霊碑を見守る重要な場所です。
学童の篤志と商工会議所の協力で誕生した像です。
建立年月日 昭和52年(1977年)8月全国の学童の募金や広島商工会議所などの協力により建設されたもので、像は円鍔勝三氏の寄贈によります。ちょうど、原爆死没者慰霊碑を見守る格好で、若い母親に抱かれた子どもが平和のラッパを吹いている。製作者の円鍔氏は除幕に際して「親から子どもへ、きのうよりもあすへ。三日月もやがて満月になる。新しい未来を求めて、平和のラッパを鳴らしたい。」と意図を語った。
昭和52年に建立されました。原爆死没者慰霊碑を見守る格好で、母親に抱かれた子どもが平和のラッパを吹いています。
学童の篤志などで建立されたようです。なぜ三日月なのかは分かりませんが、自然に頭が下がります。
場所は平和の池の左隣にある。原爆犠牲者を追悼し、人類悠久の平和を願う為に建立された。碑文(台座背面)「昭和20年8月6日原子爆弾の一閃は全市を廃墟と化し、20有余万の生命を奪い去った事実は世界史上初の一大痛恨事として永遠に忘れる事は出来ない。爾来幾(じらいいく)星霜(せいそう)、我々は地下に眠る精霊(せいれい)歔欷(きょき)の声に応え平和を求め続けて来たが、いまだに核戦争の脅威と人類滅亡の不安に脅かされている。よって我々は原爆犠牲者の生命を永遠ならしめ、人類悠久の平和を願うためかねて全国の児童生徒に呼びかけ浄財の募金運動を展開し、有志団体の協力を得て、今こゝにこの像建立の目的を達した。我々の願いは必ずや世界恒久平和への道に通じるものと確信する。
■平和祈念像広島市にある野外彫刻。平和記念公園にあるブロンズ母子像。作銘:平和祈念像作者:圓鍔勝三 (えんつば かつぞう)建立:昭和52年 (1977) 8月2日寄贈:広島平和祈念像建設会●赤児(幼児)が持って吹くラッパと母親の足元から大きく配された三日月は金彩色で一際目立つ像。母の髪とスカートの裾が風に靡いている。左片腕で幼児を抱えている母の姿は逞しさも出ている。制作依頼の主旨に応じて制作した、圓鍔氏72歳頃の良作。現地に来られたら標札の標札文、台座背面のプレート碑文、草野新平氏が寄せた詩碑を一読願いたい。除幕に際し圓鍔氏は「親から子どもへ、きのうよりもあすへ。三日月もやがて満月になる。新しい未来を求めて、平和のラッパを鳴らしたい」と制作意図を話された。
犠牲者の方々を追悼する像です。
そのなの通り、平和を祈念している像。心から平和を祈ります。
平和記念公園内にあり、行くたび、被爆犠牲者の方々を追悼するため立ち寄り手を合わせています。
This park and its museum made my 2 hour trip from Osaka worth while.
名前 |
平和祈念像(草野心平の詩碑) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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2016/08/28来訪。建立年月日 昭和52年(1977年)8月2日全国の学童の募金や広島商工会議所などの協力により建設されたもので、像は円鍔勝三氏の寄贈によります。