長束の秋、銀杏と共に。
長束神社の特徴
長束神社は、古くは八幡宮と称された由緒ある神社です。
境内には文政六癸未年の石灯籠があり、1823年に建てられました。
新嘗祭では、臼と杵で餅つきを行い、参加者にはつきたてのお餅が振る舞われます。
入母屋造の拝殿は千鳥破風も軒唐破風もなく黒瓦葺なのでお寺のように見えるのは仕方ないが、本殿は同じ入母屋でも向拝庇が伸び、銅板葺も神社らしくて美しい。木鼻は非写実的な象鼻、千木は開き過ぎ?拝殿内の大絵馬は3面・中央に曳馬の大作、暴れ馬に見える。・右の壁に伐折羅ばさら像、新薬師寺?・入口左上に敦盛を呼び止める熊谷直実。
祇園大橋から歩いて5分位にあります。太田川沿いからすぐに分かります。とても新鮮な空気で落ち着きます。神社での作法αがあります。場所は、太田川沿いを西原方向へ。車で行くのはお勧めできません。可部線の安芸長束駅orバスで長束のバス停から歩いた方が良いと思います。
敷地内に立派な銀杏の木、夏は青々、秋は黄金、樹齢190年ということもあり、何かすごい息吹を感じます。
当社は貞観十二年(870)九月第五十六代清和天皇(平安時代)の長束西大年山に御勧請となり中古現在地にご遷座を仰ぎたるもので現在の神殿拝殿は文政十一年(1828)四月第百二十代仁孝天皇(江戸時代)に建造されて長束全地域の総氏神として鎮座し古くは八幡宮と称す。八幡信仰は、九州の宇佐神宮が発祥で奈良時代から皇室の崇敬篤く平安時代に京都の岩清水八幡宮、次いで鎌倉の鶴岡八幡宮が創立されその分祀社は全国に約二万五千社に及び広く地域民衆の神として祀られている。未曽有の大東亜戦争の終結を機とし、当社は昭和二十一年(1946)に国家管理離脱のやむなきに至りたるも、同二十七年(1952)新設の神社本庁に所属し現在に至る。古代より厄除開運、産業繁栄、安産子育、交通安全、学業成就等の神として参詣者多く氏子崇敬者の生成発展、諸業の隆盛を導き給う御神徳は宏大無辺である。
行ったことないです。見たことしかないです。
成就効果高し。
境内にある石灯篭には「文政六癸未年」と刻まれており,1823年に建てられたことが分かります。
太田川放水路の土手脇にあり、小振りですが由緒ある神社で、昔は八幡宮の名だったとのこと。御朱印をいただけましたが、太田川総水神ということは知りませんでした。
太田川沿いの散歩コースの途中にある神社⛩気になったのでお参りしてみました😊入り口の獅子がマスクで感染予防しています👍神主さんの愛情を感じました✨
| 名前 |
長束神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
082-239-2522 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
〒731-0135 広島県広島市安佐南区長束1丁目32−16 |
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神社の中にとても大きな銀杏の木が1本今黄色に見事に色づいてます。今日は曇っていますが、晴れた日ならとても良い写真が撮れると思います。